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田中康夫と浅田 彰の憂国呆談2

川端龍子の会場芸術から、秋篠宮とローラの発言、1979年に始まったグローバル資本主義の行く末まで。 photographs by Hiroshi Takaoka text by Kentaro Matsui

東京・大田区の『大田区立龍子記念館』を訪れた田中・浅田両氏。川端龍子自身が設計した自邸や画室、庭を見て歩きながら、館内では「会場芸術」と呼ばれる龍子の巨大な日本画を鑑賞。近代日本画に革新を起こした画業を振り返った。一方で、いまだ「革新」がなされないまま、グローバル資本主義の荒波に呑み込まれている日本の現状を憂えた。

浅田

『すべては1979年から始まった──21世紀を方向づけた反逆者たち』(草思社)って本がある。著者のクリスチャン・カリルはジャーナリストで、深い分析には欠けるものの、長期的な変動の始まりを40年前の79年に見る視点はおもしろい。

まず、マーガレット・サッチャーがイギリス首相になり新自由主義を打ち出す。80年代にアメリカのロナルド・レーガン大統領や日本の中曽根康弘首相がそれに追随するわけ。他方、中国では77年に文化大革命が終わり、78年の暮れに鄧小平が市場経済を導入する改革開放を提唱、建国30周年にあたる79年から本格的に始動する。それらが現在のグローバル資本主義につながるわけね。ちなみに、エズラ・ヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が出たのも79年。

次に、79年はソ連がアフガニスタンに軍事介入を始めた年で、それが89年の撤退まで長引き、ソ連崩壊の引き金の一つになる。同時に、ヨハネ・パウロ2世が故国ポーランドを訪問し、アメリカのCIAとも通じて、東欧民主化への動きをプッシュする。それが10年後に結実するわけ。

さらに、シーア派の指導者ルーホッラー・ホメイニが亡命先からイランに帰国してイスラム革命を起こす。同時に、これは著者じゃなくトマス・フリードマンが強調するポイントだけど、サウジアラビアのメッカでモスク占拠事件が起き、サウジアラビアが金満体質を維持しつつもワッハーブ派(スンニ派の過激なイスラム原理主義)に傾斜、あげくの果てにオサマ・ビン・ラディンを生み出すことになる。

本のタイトルにある「反逆者」ってのは、サッチャー、鄧小平、ヨハネ・パウロ2世、ホメイニの4人だけど、社会主義圏の崩壊、資本主義のグローバル化、それに対するイスラム原理主義の過激化に至るきっかけが40年前にあるってのはおもしろいね。

田中

大事な視点だね。改革・開放40周年の大きな節目を今年迎えた中国でも「9」のつく年に必ず何か起きている。中華人民共和国は49年の建国で今年は70周年。鄧小平は「改革開放」の一環として79年1月1日に「台湾同胞に告ぐ書」を発表している。台湾海峡を隔てて離別している中華民族は「平和統一」しようじゃないかと。97年の香港に続いて99年にはマカオが返還されている。今年1月2日に習近平は「台湾同胞に告ぐ書」40周年記念式典で、来年の台湾総統選挙に向けて香港、マカオに続いて「一国二制度」の「平和統一」を選択しない限り、武力統一も排除せずと演説した。

浅田

前回も話したけど、グローバル資本主義の下で不平等が拡大し、ハゲタカどもが時には違法に巨額の報酬を得てることに批判が高まってる。日産自動車のカルロス・ゴーン元会長の件もそのひとつ。しかし、東京地検特捜部が彼を再逮捕した昨年12月10日、フランスの司法当局が武田恒和JOC会長をオリンピック招致に関する贈賄容疑で事情聴取した。アフリカ票が東京に来ない見通しに焦ったJOCが、アフリカのIOC委員に強い影響力をもつセネガルのラミーヌ・ディアック(国際陸上競技連盟会長やIOC委員を務めた)の息子の関連する会社に電通を通じて2億3000万円もの「コンサルタント料」を払った、あれは賄賂じゃないか、と。3年前から続くディアックへの捜査の一環で、ゴーン再逮捕への報復ってことはないと思うよ。しかし、JOCの支払いが正当なコンサルタント料だとしたら、ゴーンがサウジアラビアのハリド・ジュファリに日産から16億円も払わせた、それも湾岸地域でのマーケティング活動の正当な対価と言えるかもしれない──むろんゴーン個人に対する信用保証に絡む支払いだとすれば公私混同になるけどね。いずれにせよ、グローバル資本主義の中でスポーツも何もカネまみれってこと。

田中

72年のミュンヘン五輪、76年のモントリオール五輪に馬術日本代表で出場した竹田が1月15日、わずか7分間で文書を読み上げるや会見場から、脱兎の如く逃げ出した運動神経には思わず笑ったよ。「通常の承認手続きを経た稟議りんぎ書に最後に押印したが、いかなる意思決定プロセスにも私は関与していません」という破綻した論理展開にもね。昨年に話題を呼んだ「ご飯論法」でなく、1960年代の高度経済成長期に「エコノミック・アニマル」と揶揄された日本のビジネスマンが商談で用いた和製英語の「Yes・But論法」を久方振りに聞いたよ。

日本が年末に国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退を正式表明したのも既視感があるよね。我々が生まれる前の33年だけど、ジュネーヴの国際連盟総会で満州事変は侵略行為だと日本軍撤退の勧告決議が採択されると、首席全権の松岡洋右ようすけが「連盟と協力する努力の限界に達した」と演説をぶちかまして脱退したのと同じく。鯨肉は日本の文化と言われるけど、現在の年間消費量は、馬刺しが一時期ブームになった馬肉の半分にも満たない5000トン。最盛期は20万トンだった。

浅田

ドナルド・トランプ米大統領がパリ協定から脱退するのと同じに見えちゃう。だいたい、捕鯨が盛んだった山口県下関市を選挙区に含む安倍晋三首相と和歌山県・太地町を選挙区に含む二階俊博幹事長の政権でIWCから脱退するとは……(苦笑)。

むろん反捕鯨国の偽善も問題だよ。ペリーが黒船に乗って来て開国を要求したのも、捕鯨船の寄港地にしたいってのが理由のひとつだった。ハーマン・メルヴィルの『白鯨』が出た2年後だからね。鯨からは油も取ってたんで、日本近海に鯨の漁場が見つかった、それは油田が見つかったようなものだったわけ。そのアメリカが今になって「鯨のように頭のいい動物を殺すのは野蛮だ」とか言ってくる。ところが牛や豚ならいくらでも殺していいってんだから、偽善も甚だしいよ。ただ、日本人が鯨を20万トン食べてたのは貧しい時代のことで、学校給食の予算が乏しいから鯨肉を出したりしてた。でも、いまは田中さんの言うとおりわずかな需要しかないんで、そのためにIWCから脱退する価値はないよ。確かに、骨も皮も全部使ってきた捕鯨の文化を残す意義はある。それならIWCの中でちゃんと議論しなきゃ。

田中

ノルウェーとアイスランドはIWCから脱退もせずに捕鯨を続けているんだからね。クジラの数量管理の生態系的重要性を日本が唱えるなら、それを他国にも理解させてこそ「未来志向」の外交でしょ。その外交では、都合25回も首脳会談を続けてきた北方領土を巡って、前進どころか良くて停滞、ハッキリ言えば後退の展開が明らかになった。なのに、振り仮名なしでは歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島を誤読する、幾人もの担当大臣を輩出した日本では、最低でも2島は戻って来ると思い込んでる国民が少なくない。歴史的経緯も含めて現実を的確に伝える政治家や学者、ジャーナリストが皆無に近い2019年は嘆かわしいね。この辺りは次号で話しましょう。

協力:大田区立 龍子記念館 www.ota-bunka.or.jp/facilities/ryushi/tabid/218/Default.aspx

田中 康夫

田中康夫 たなか・やすお
1956年東京都生まれ。一橋大学法学部卒業。大学在学中に『なんとなく、クリスタル』で文藝賞受賞。長野県知事、参議院議員、衆議院議員を歴任。最新刊は『33年後のなんとなく、クリスタル』。http://tanakayasuo.me

浅田 彰

浅田 彰 あさだ・あきら
1957年兵庫県生まれ。京都大学大学院経済学研究科博士課程中退。京都造形芸術大学教授。83年に出版されたデビュー作『構造と力─記号論を超えて』はベストセラーに。

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