ソトコト ソーシャル&エコ・マガジン

田中康夫と浅田 彰の憂国呆談2

被曝した「第五福竜丸」の教訓から、福島の中間処理施設問題、TPP参加の議論の行方まで! photographs by Kitchen Minoru text by Kentaro Matsui

東京・夢の島にある『第五福竜丸展示館』にひっそりと展示されている第五福竜丸のペンキが剥げ落ちた船体を見上げながら、田中・浅田両氏は、その船の姿を、放射性廃棄物の中間処理施設を福島に置くと表明し、TPP参加交渉を議論なきまま進め、消費税10%を国際公約する日本の政治に重ね合わせる。

浅田

今日は、東京の夢の島公園にある「第五福竜丸展示館」を見学したけど、木造船の現物は迫力があるし、解説も簡にして要を得て、いろいろ教えられたね。第五福竜丸がもともと和歌山県の古座(現在は串本町)で1947年にカツオ漁船として造られたってのは知らなかったな。それがマグロ漁船に改造されて静岡県焼津港の「第五福竜丸」となり、54年にマーシャル諸島にあるビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験で被曝。

その後、船は放射能除去を行って東京水産大学の練習船として使われ、67年に廃船となって、夢の島の埋め立て地に捨てられてたのを、市民の声で保存することになり、都が展示館をつくった。ただ、エンジンは別の船に取り付けて使われてた、その船がまた熊野灘沖で沈没したのを、エンジンだけ引き揚げて展示してある。因縁めいた話だね。

被曝前後の話も興味深い。52年にアメリカがエニウェトク環礁で最初の水爆実験に成功したあと、翌年にはもうソ連も水爆実験に成功。それであせったか、アメリカは急に「アトム・フォー・ピース(原子力の平和利用)」と言いだして、日本への原発売り込みにも力を入れる一方、ひそかに水爆開発も加速し、54年のビキニ環礁の実験にいたるわけだ。

ちなみに、ドイツ滞在中にチェルノブイリ事故を体験して以来、放射能問題に取り憑かれたヤノベケンジが、第五福竜丸に想を得て「ラッキードラゴン」っていう火を噴くボートをつくったけど、そのタイトルの意味に、みんな気づいてたのかな?

田中

どうだろね。3.11以前だったら、原水爆からの災い転じて福と成す舟だと原発推進派が羊頭狗肉なPRに使って、リテラシーに乏しい面々に美しき誤解を生んだかもしれないけど、3.11以降はさすがにね。だけど、第五福竜丸の被曝事件をスクープしたのが、戦後の日本に原子力発電所を持ち込んで推進していた正力松太郎が経営する読売新聞だったというのも皮肉な話だ。

浅田

学芸員の安田和也さんの解説によれば、事件が報じられたのは、ビキニ環礁で被曝した3月1日ではなく、2週間ほど後に第五福竜丸が焼津港へ戻ってきてから。その間、船長が無線で日本へ知らせなかったのは、アメリカ軍に傍受され、保護と称して拿捕されるのを恐れたからだろう。帰国後も被曝したことは秘密にしておこうとしてたらしいけど、焼津にいた読売の通信員が事件を知って本社の社会部に連絡し、スクープ記事になった、と。

田中

原発推進が社論だったから、社会部にも放射能に関する知識を持ち合わせたデスクがいて、これは被曝だと直感したんだろうね。そのときに獲ったマグロは市場にも出回ってしまって、庶民は「原子マグロは大丈夫か?」と不安に駆られると報ずる当時の新聞記事も展示してあった。まさに今とまったく同じ状況。東京電力福島第一原子力発電所の事故の放射能によって汚染された魚も牛肉も「今のところはダイジョウビ」って、出荷を認められているんだから。三陸沖から南下する親潮と共に福島沖から房総沖へ下りてきた魚は枝野君、細野君、ダイジョウビなのかい、と僕は思うけどね。

浅田

チェルノブイリに比べて大気中に放出された放射性物質の量は少ないけど、海に流出した量ははるかに膨大だろうし、それが魚に集積されないとは言い切れない。海中で拡散するように思うけれど、水爆実験のときも案外まとまったまま海流にのって動いたみたいだから。ともかく、農産物も、海産物も、体系的に調べる必要がある。最悪の事態を先に想定してから、これは大丈夫だったといって潰していくやり方を取らないと、みんな安心できないよ。ところが政府のやり方は逆で、まずは安全と言っておきながら、後になって少しずつ悪いニュースが漏れ出してくる。放射能に汚染された瓦礫をどう処分するかって問題も同じこと。ゴミを埋め立ててつくった夢の島のように簡単にはいかないんだから。

田中

「瓦礫」問題についても政府はまったく無為無策。原発担当相の細野豪志は福島県内に中間貯蔵施設を設けて最長30年間貯蔵する工程表を提出したけど、問題の先送りでしかない。一番若い細野だってすでに40歳。大多数の議員は30年後には政治家でないから無責任なことばっかり言ってる。

浅田

「最終処分場にはしないから中間貯蔵施設をつくらせてくれ」なんて詭弁こそが福島の人たちを傷つけてる。実際はあそこを最終処分場にするしかないんだし、30キロ圏内の居住者には、この先50年間くらい安全な場所に無料で住まいを貸与するくらいなことをして移住を促すしかない。

田中

本当だよ。前から言ってるように、福島原発の30キロ圏内は居住禁止にして、放射性廃棄物の最終処分場にすべき。30キロ圏内に居住の人々には十分な生活保障を行ったうえで、移住してもらう。あのエリアは「放射能に占領された領土」なんだ。他方で、イギリスのセラフィールドの使用済み核燃料再処理工場は閉鎖される。この瞬間も全世界で排出される高レベル放射性廃棄物の最終処分場は、映画「100、000年後の安全」に登場したフィンランドのオンカロで建設されている以外に存在しない。とするなら、30キロ圏の内陸部を処理場として「世界の領土」にすべきなんだよ。無論、管理運営は日本が行う。これぞアメリカもフランスも真っ青な最強の安全保障戦略。

なのに細野は、被曝地の福島で結婚して子どもを産んで育てて孫を見たいと演じた高校生を所信表明演説で無批判に賞賛した野田と同じレヴェルの情緒的な発言をしている。「福島の痛みを日本全体で分かち合うことが国としての配慮ではないかと思っている。福島を最終処分場にはしないということは方針として、できるかぎり貫きたい」とね。そもそも「できるかぎり」と言うあたりが逃げ腰な官僚答弁。そりゃ、強制疎開も強制移住も、事なかれで無責任な日本のマスメディアから叩かれるのは必至。日本版オンカロもね、世論を二分するかも知れない。でも、だからこそ、指導者は孤独な決断をしないと。

浅田

ちなみに、このあいだ柄谷行人と話したんだけど、1901年に田中正造が明治天皇に直訴した足尾銅山鉱毒事件で封じ込めた鉱毒が、東日本大震災の影響で決壊して流出したってのは、象徴的な話だね。彼が『「世界史の構造」を読む』(インスクリプト刊)86ページ以下で言ってるように、あの事件が近代日本の思想や文学に与えた影響は、従来、考えられてた以上に大きいんじゃないか。田中正造の直訴文は幸徳秋水が起草したらしいし、『谷中村滅亡史』は20歳の荒畑寒村が書いた。社会主義やアナーキズムの源流のひとつがここにあるといってもいい。また夏目漱石の『坑夫』も足尾銅山の話なんだね。当時は日光(伝統)─足尾(近代)ってのが北関東の観光コースだったらしく、修学旅行でそのコースをたどった芥川龍之介は、『日光小品』で、鉱毒事件には触れないものの、唐突にクロポトキンの言葉を出してる。そもそも足尾銅山を再興したのは、古河市兵衛(古河財閥の創始者)と、志賀直哉の祖父であり、鉱毒事件を調査しに行こうとした直哉は父と対立、その後のいきさつも踏まえて『和解』と『暗夜行路』が書かれることになる。大逆事件(幸徳秋水らが摘発された)の年に直哉は『白樺』を創刊、政治から教養主義への転向とも見えるけど、むしろ、社会主義的なものを別のかたちで受け継ごうとしたとも見られるのではないか、と。そして、今年の震災で堆積場が決壊し、鉱毒汚染物質がまた流出したっていうんだけど、足尾鉱毒事件はさまざまな点で今回の原発事故の先駆けとも言えるかもしれないね。

田中

そうだったんだ。そんな経緯すら知らなかった僕は彼の足下にも及ばないけど、天皇への直訴から100年目の2001年に「『脱ダム』宣言」を発して、針葉樹林の間伐促進と保水力を高めるために針広混交林化を進める「森林ニューディール」を進めた時に、幾度か会見やインタヴューで田中正造に言及したのを思い出したよ。

田中 康夫

田中康夫 たなか・やすお
1956年東京都生まれ。一橋大学法学部卒業。大学在学中に『なんとなく、クリスタル』で文藝賞受賞。長野県知事、参議院議員、衆議院議員を歴任。最新刊は『33年後のなんとなく、クリスタル』。http://tanakayasuo.me

浅田 彰

浅田 彰 あさだ・あきら
1957年兵庫県生まれ。京都大学大学院経済学研究科博士課程中退。京都造形芸術大学教授。83年に出版されたデビュー作『構造と力─記号論を超えて』はベストセラーに。

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