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田中康夫と浅田 彰の憂国呆談2

英連邦戦死者墓地から、日本軍の収容所での捕虜虐待、相次ぐ台風・地震列島ニッポン、重厚長大なIT時代まで。 photographs by Hiroshi Takaoka text by Kentaro Matsui

第二次世界大戦中に日本で戦死した捕虜を埋葬した横浜市の英連邦戦死者墓地を訪ねた田中・浅田両氏。イギリスやオーストラリアなど、出身国ごとに埋葬された兵士の墓に目を向けながら、日本軍の捕虜に対する虐待を思い、現在の日本と世界の情勢を論じ合った。

浅田

今日は田中さんの案内で横浜の保土ケ谷区狩場町にある英連邦戦死者の墓地を訪ねた。ここには第二次世界大戦中に日本で戦死したイギリス、オーストラリア、インド、パキスタン、カナダ、ニュージーランド、南アフリカ、更にアメリカ、オランダの捕虜、そして戦後の英連邦占領軍で任務中の病死者・事故死者等、1800名あまりの人々が埋葬されてる。明治以後の日本は不平等条約改正のためにも国際法を強く意識し、戦争捕虜も丁重に扱ってきた。それが第二次大戦になると捕虜の虐待が目立つようになるんだな。美しい墓地であるだけに、いろいろと考えさせられる。

田中

保土ケ谷錬成場と呼ばれて林間学校にも活用されていた広大な児童公園が接収されて、敗戦翌年の1946年に誕生した。サンフランシスコ講和条約の締結に伴い1952年に接収解除となって以降も1955年の「日本国における英連邦戦死者墓地に関する協定」に基づき、コモンウェルス戦争墓地委員会に無償・無期限で日本政府から敷地が貸与されている。芝生や墓碑の手入れをしていた方にたずねたら、彼ら自身も外部委託でなく同委員会のスタッフとして雇用されているんだね。

「物の本」で知ったけど、港の見える丘公園に隣接する中区山手の横浜外国人墓地以外にも、南京墓地とも呼ばれる中華義荘が中区大芝台にあり、横浜市が管理する中区仲尾台の根岸外国人墓地には、関東大震災の外国籍犠牲者や戦時中の1942年に同盟国のドイツ船籍が横浜港で爆発した際の犠牲者が眠っている。敗戦後に進駐軍兵士と日本女性の間に生まれたもののすぐに「死亡」する境遇に陥った約600名もの「私生児」も埋葬されていると言われているけど、これは都市伝説の可能性もあって、この点でも現在に至るまで公文書管理が行き届いていない日本を象徴している。

英連邦戦死者墓地では委員会が主催する毎年4月の追悼式典と並んで、1995年からは8月に戦没捕虜の追悼礼拝が行われている。英米文学者の斎藤和明、雨宮剛の両氏と共に呼び掛けたのが岡山県で生まれ育った永瀬隆さん。青山学院の英語科を卒業後に陸軍省で通訳となった彼は1943年にタイに赴任し、映画『戦場にかける橋』で知られる鉄道建設現場に俘虜収容所から駆り出された6万人以上の連合軍捕虜、25万人以上のアジア人労働者への非人道的な虐待に直面する。

ご存知のように、といっても地球儀「俯瞰」外交が地球儀「傍観」外交どころか今や地球儀「孤立」外交となっても「日本凄いゾ論」な天動説を信奉する「真層深入り!虎ノ門ニュース」系列のネトウヨやネトサポの皆さんは否定しまくるだろうけど、飢餓と疾病と虐待で死亡した連合軍捕虜が約1万6000人、戦後に裁判すら遺族が起こせず正確な人数が不明なアジア人労働者の死者に至っては4万人から7万人に上るのが泰緬鉄道建設の悲劇。

英国側から白羽の矢を立てられ、墓地捜索隊の通訳としてタイに留まり、敗戦から2年後に帰国した永瀬さんは千葉県の高校教師を経て郷里の倉敷市に英語学校を開設する。東京オリンピック開催を契機に一般日本人の海外渡航が自由化された1964年からは毎年タイに赴き、犠牲者を慰霊すべく1986年にクワイ河平和寺院を建立。タイの青少年に奨学金を授与するクワイ河平和基金も創設した。ミャンマーとの国境地域の無医村巡回診療活動も支援して2011年に亡くなるまでに計135回も贖罪と和解の旅に出掛けた彼には『「戦場にかける橋」のウソと真実』(岩波ブックレット)の著書もある。その半生は「たったひとりの戦後処理」をはじめとするいくつもの番組としてKSB・瀬戸内海放送の満田康弘プロデューサーが記録していて、没後の2016年にはドキュメンタリー映画『クワイ河に虹をかけた男』がポレポレ東中野でも上映された。とは言え、その活動は広く全国的に知られているとは言えないし、地元愛に燃えるハマっ子の間でも英連邦戦死者墓地の存在を知っている割合が低いのは残念だね。

浅田

関連して言えば、8月にNHKで再放送された「父を捜して~日系オランダ人 終わらない戦争」ってドキュメンタリーはなかなか充実した内容だった。インドネシアには、オランダの植民地支配のもと、蘭印系と呼ばれる混血の人たちがたくさんいた。そこへ日本が侵攻してきて、さらなる混血が起こる。日本人男性がオランダや蘭印系の女性との間に子どもをもうけるんだけど、中には日本軍の慰安婦にされかねないと恐れた女性が保護を求めて日本人警官と結婚したケースもある──ってことは、その結婚自体、大きな意味で慰安婦とつながる構造を孕んでたのかもしれない。で、敗戦とともに日本人は収容・送還され、父を失った混血の子どもたちが残る、オランダに帰国する者も多かったけれど、今度は日系人差別に直面する、と。特に悲惨なケースでは、日本人の父との間にできた2人の子どもが、母の再婚相手のオランダ人の継父から(彼の血を受けた弟妹たちとは対極的な)虐待を受ける。それも無理はなくて、そのオランダ人は泰緬鉄道建設工事で酷使され、日本人への憎悪だけをエネルギーとして辛うじて生き延びた生存者だった。慰安婦問題も含む過去のトラウマを掘り起こす意欲的な番組だったな。

ついでに言うと、『炎のランナー』は1924年パリ五輪を取り上げた映画だけど、400メートル走で優勝したエリック・リデル(熱心なキリスト教徒で、安息日の日曜には走れないってんで急遽別の日の400メートル走に出た)のその後を描いた映画『最後のランナー』が公開された。オリンピックのあと宣教師として中国に渡った彼は、進駐してきた日本軍の収容所に入れられ、虐待を受けながらも、オリンピアンに勝ったと自慢したい所長との競走に勝つ(ただし今度はわざと安息日に走らされる)。しかし、終戦前に収容所で脳腫瘍のために死ぬって悲しい物語。

アンジェリーナ・ジョリー監督の『不屈の男 アンブロークン』も、36年ベルリン五輪で入賞し、40年東京五輪を目指して頑張ってたアメリカ人ランナーのルイス・ザンペリーニが、戦争に行って日本の捕虜収容所(憧れの東京──正確には大船、大森、そして直江津)でサディストの将校から異常な虐待を受ける映画で、この将校はさすがに常軌を逸してたようだけど、似たようなケースはけっこう多かったみたい。そのザンペリーニは98年長野五輪で聖火ランナーとして招かれ、直江津収容所があった現在の上越市を走った。

田中

極めて平たく言えば「恩讐の彼方に」が彼の人生の軌跡でもある。ところが、この映画が2014年の年末にアメリカで公開されるよりも前の夏頃から、日本では上映反対運動が活発化する。パヨクやリベラルが発信する拠点だと思われていた「Change. Org」を用いて、日本会議代表委員の加瀬英明が代表を務める『史実を世界に発信する会』が組織的に動いた。東宝東和は過剰反応して配給を見送り、「最後まで屈しない」を社名とする独立系のビターズ・エンドが配給元となって2016年に公開された。配給会社の雄として知られる東宝東和が、霞ヶ関よりも一足先に「忖度」を実践するとはねぇ。前身の東和映画を創設した川喜多長政・かしこ夫妻の娘で、フランス映画社の副社長としてルキノ・ヴィスコンティの『家族の肖像』、フォルカー・シュレンドルフの『ブリキの太鼓』、侯孝賢ホウ・シャオシェンの『悲情城市』といった作品を日本に紹介した川喜多和子が存命だったら悲憤慷慨したに違いない。

浅田

ちなみに、エマニュエル・マクロン大統領は、フランスが半世紀以上前のアルジェリア独立戦争で拷問による死者を多数出したことを、犠牲者の遺族を訪れて謝罪した、あれは日本も参考にすべき態度だと思うね。

田中

確かにイギリスもフランスもアフリカやアジアの植民地で悪辣非道の限りを尽くしてきた訳で、遊牧民が暮らす中近東の砂漠に真っ直ぐな国境を敷いたのが現在に至るテロリズムを生み出したとも言える。とはいえ、泰緬鉄道に話を戻せば、「日本人は農耕民族で草食動物なのだ。ジャングルの中で草を食えば、補給などいらぬのだ」と豪語して、川幅600メートルにも及ぶチンドウィン河と標高2000メートルを超えるアラカン山脈を3週間で踏破してインドへ侵攻するインパール作戦を指揮し、3万人もの戦死者を出した陸軍中将の牟田口廉也は、敗戦後も、「部下が無能だったから失敗した」と1966年に死ぬまで周囲に言い続けたからね。

手弁当で駆け付ける災害時のヴォランティアと異なり、ロサンゼルス以来、莫大なスポンサー収入を得ているにもかかわらず、前号でも話したように11万人もの無償ヴォランティアを“学徒動員”でかき集め、他方で総務大臣を務めた竹中平蔵が会長のパソナが「東京2020オフィシャルサポーター」として「有償契約」で取り仕切る東京オリンピック・パラリンピック競技大会を、「#TOKYOインパール2020」のハッシュタグを付けてツイートする「トレンド」が生まれているのも、今の日本に漂う絶望的な空気に対する諧謔精神だ。

田中 康夫

田中康夫 たなか・やすお
1956年東京都生まれ。一橋大学法学部卒業。大学在学中に『なんとなく、クリスタル』で文藝賞受賞。長野県知事、参議院議員、衆議院議員を歴任。最新刊は『33年後のなんとなく、クリスタル』。http://tanakayasuo.me

浅田 彰

浅田 彰 あさだ・あきら
1957年兵庫県生まれ。京都大学大学院経済学研究科博士課程中退。京都造形芸術大学教授。83年に出版されたデビュー作『構造と力─記号論を超えて』はベストセラーに。

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