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sotokoto interview

裸足で太鼓と向き合う。 太鼓奏者 林 英哲 Eitetsu Hayashi 日本の太鼓が世界を魅了している。古の太鼓は神を呼び、危険を告げ、鼓舞・煽動し、雨を降らした。「太鼓音楽」の第一人者・林英哲さんが打つ太鼓は、生命のはじまりの音がする。裸足で野山を走り、肉体を土俗化し、原初の記憶を取り戻しながら、新しい「太鼓音楽」の地平を切り拓いてきた。演奏活動40周年を迎えた林さんに話を聞いた。 photos : Masaya Tanaka text : Sachiko Tamashige

太鼓で新しい芸術世界を拓く。

 薄暗いステージに満月のように照らし出された大太鼓。その白い打面に正面から向かい合う林英哲。果たし合いに臨むような凛とした後ろ姿に、観客の誰もが固唾をのむ。緊張を孕んだ無音が永遠に続くかと思われた瞬間、右手のバチが振りおろされ、張りつめた空気を切り裂く。ダン、ダン、ダン、ダン、ダン。大太鼓の真正面から一打一打、寸分の狂いもなく、バチが打ち込まれていく。律動リズムに身を委ね、打ち込む姿は無念無想の行者のようだ。観客の心臓の鼓動が太鼓の連打に共振し、奏者と聴者の区別さえなくなってしまう。公演後、観客から寄せられるのは、生の深い淵からこみあがる感動の声。舞台は、不思議なエネルギーに支配され、日常を超えた場へと変容していた。

今年2月初めに開催された林英哲の連続コンサート「『五輪具』──あしたのために──」で、そんな忘我の境地を味わった人は少なくない。2月2日に60歳を迎えた林にとっても、太鼓芸歴40周年を記念する特別な公演だった。

40年前、太鼓ステージパフォーマンスの草分けだった創成期の「佐渡・鬼太鼓座」のスター奏者として出発した林は、日本の伝統になかった大太鼓のソロ奏法を創出し、多種多様な太鼓を配し一人で打ち分ける太鼓演奏法を開発。伝統楽器だった太鼓に、現代の独奏楽器としての生命を吹き込んだ。オリンピックのアスリートに匹敵する体力と高度なテクニックを備え、前人未到の太鼓ソロ奏者として、太鼓の可能性を拓いてきた。

和太鼓ブームといわれていますが、多くの人は、太鼓芸全般を伝統芸能と捉えています。でも、太鼓の歴史を調べてみると、組太鼓(太鼓を揃って打つ集団演奏)という形式は戦後できたもので、ステージパフォーマンスとしてやっている太鼓グループの奏法も、ここ40年くらいの間につくられたものと知りました。そして、大太鼓の一本打ち、つまり、大太鼓の真正面から打ち込む「正面打ち」は、林さんが始められた「正対構え」打法と知りました。林さんは、30年前、グループ(鬼太鼓座)を離れてから、太鼓の独奏など、新しい表現形式を追究されてきましたね。

太鼓は伝統楽器ですけれど、僕がやってきたことは伝統芸能や郷土芸能ではないんですね。能や歌舞伎などの伝統芸能の太鼓は囃子方、つまり、歌や踊りの伴奏、何かメインがあっての脇役です。僕は太鼓だけで成立する、太鼓がメインの音楽をやりたかった。もともと美術をやっていたので、ゴッホやピカソが新しい芸術表現を模索したように、自分も太鼓で従来と全く違う価値観の表現を創りたかったのです。

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2月、東京・世田谷パブリックシアターで開かれた「『五輪具』─あしたのために─」の舞台。「五輪具」には40年の太鼓との格闘の人生を顧み、「リング」(格闘場)と「五輪」(地水火風空)、「輪」(輪廻の意)の意味が掛けられ、うちわ太鼓、締太鼓、桶胴太鼓、大太鼓と多種の太鼓を操る林と弟子たちによる力強い太鼓の応酬が繰り広げられた。奏法、所作、太鼓の台、衣装のデザイン、舞台構成まで、統合的な演出を手掛ける林の舞台は真剣勝負の闘いの場そのもの。林の原点となった36年前の名曲「モノクローム」(写真左)も披露された。左©小熊栄、右上©清水博純、右下©林登

日本の祭りや神事の太鼓には魔力があるようにも思えるのですが。

昔は農業があり、共同体があり、豊作を祈願して、神々を喜ばすための祭りが成立していました。神楽など、そこに神が降りると信じてやっていた。舞台はお金を払ってもらい、観ていただくものなので、舞台上のリアリティがなければなりません。でも神が出現しない舞台はつまらない。

僕は、かつての村祭りや神楽に立ち現れた何かを、今日的解釈で舞台の上に出現させたい。マイケル・ジャクソンはスーパースターになりきることで、カミが憑依ひょういし熱狂を巻き起こした。優れたエンターテイナーの舞台にはカミが出現すると思います。

独自の奏法と日本人のルーツ。

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2月下旬からカタール、オマーンと中東諸国を巡った林英哲の舞台。日本と中東の国交樹立40周年を記念して開かれた公演は、スタンディングオベーションなど、称賛の嵐を巻き起こした。上©在カタール日本国大使館・安澤宗泰、下©国際交流基金/HAL

2月下旬から中東ツアーも行われました。カタールの新聞レビューの見出しに「太鼓打ち、称賛の嵐を巻き起こす」とありました。アラブの王族たちには涙を流す観客もいたとか。林さんは「太鼓の音は国境を跨ぎやすい」と言われていますが。

文化が異なれば多少表現の仕方は違いますが、人間の中身、基本的感情はそうは変わらない。そのことを今回、中東でも確認しました。太鼓の音は心臓の鼓動の音と近い。特に日本の太鼓は、自然音に近い音になっていて、ドンドンとやる。赤ちゃんはお腹にいる時、お母さんの心臓の音や羊水を通して外界の音も聞いている。それら全部の音の周波数が渾然一体となってガーッと鳴っている中、お母さんの心臓の振動音が聞こえ、赤ちゃんは何の心配もいらず眠っている。そういう記憶が、日本の太鼓から蘇るのだと思います。世界中どこの国の子どもも、太鼓の音を聞くと最初は泣き出しても、そのうち熟睡してしまう。成人では、感受性の鋭い方など「悲しいわけではないのに涙が出る。なぜでしょう?」と来られる。郷愁を募らせ涙が出るのとは違う。言語を習う以前の、全人類共通の何か。空気振動を伴う低周波による作用なのかもしれません。

日本の太鼓には、地域の保存会的なものから、アクロバティックなパフォーマンスまで、多様なスタイルがありますが、林さんにとって、太鼓の日本的なるものはどんなことでしょうか?

太鼓奏法に関し、究極的に言い切るなら、精神面でも実技面でも「裸足で立っているかどうか」です。太鼓を日本のものとして打つなら、裸足で稽古しなさいと言っています。柔道、剣道は裸足ですし、能、歌舞伎も足袋裸足。天皇、皇后両陛下の婚礼の写真も足袋が正装で、履物はない。裸足は日本文化の底流にあり、特徴づけています。南方から海を越え日本列島に渡ってきた祖先の影響かもしれません。海の民の、甲板で腰を低くして裸足で踏ん張るという生活形態が、そのまま日本人の体技の原形になったり、日本の太鼓のリズムの原形も、船べりをチャップチャップと打つ波音からきているという説があります。

「コピー」をつくっても仕方がない。

鬼太鼓座の時代、ボストン・マラソンを完走し、ゴール直後に太鼓を打つなど、驚異的な世界デビューのことは、今でも伝説のように語られています。「走る」と「太鼓を打つ」が一体化していたのでしょうか?

当時はとにかく走らされました。42キロのフルマラソンに参加するので、毎朝暗いうちから練習で50〜60キロ、4〜5時間かけて走るわけです。全身の身体機能と心肺機能がずいぶん鍛えられました。心臓も大型の排気量のエンジンになり、心拍数が1分間40〜42と、高橋尚子さんと同じくらいです。太鼓のソリストはそれくらいないと勤まらない。そして、何より、長時間の単調さの持続、繰り返しに耐えられる精神的耐性がつきました。

まさにオリンピック級のアスリート奏者ですね。腕を高くあげたまま、腰を据えた姿勢で、皮面が3.2尺(約96センチ)もある大太鼓を、リズムを一瞬も崩さず、長時間演奏するというのは至難の業だと思います。でも、林さんの打ち方は、エネルギー効率がいいように感じます。

そういう打ち方をしないと仕事にならないんです。アマチュアの太鼓好きの中には、持てないくらい重いバチで一発打って「何十デシベルを超えた」と言って、内出血を起こしたり、体を壊している人も多い。力まかせに叩く太鼓は、ガンバリズムになってしまい、音楽でも表現でもなくなってしまいます。技術は、こなれてくれば、効率がよく、無駄がなく、確実性の高いものになっていきます。何万発打っても確実にそこに当たる技術を身につけるには、いかに力を抜き、楽な形を自分の体に覚えさせるかが肝心です。相当ハードな修業を一巡りした後、力を抜く方法を覚え名人になるのです。体に無理のない動きは故障もない、疲れない。それに見ていて美しい。理に適った機能美こそ美しいのです。

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左・中/東京・サントリーホールで開かれた「林 英哲ソロコンサート2010 月山Ⅱ」。三宅一生が手掛けた「132 5.」の衣装を纏った林とデザイナー三宅の革新的スピリッツが共鳴。右/林の楽器コレクション(1998年夏の稽古場のグラウンドにて)。世界の打楽器の歴史、奏法について、林は文化人類学者のように語る。左©小熊栄、中©三本松淳、右©北出博基

林さんは大学でも教えていらっしゃいますね。

学生に教えるときは、身体技芸としての打法から教えるのですが、稽古は必ず素足で行います。重心を落として素足で踏ん張ることができれば、上体を自由自在に動かせ、見た目もきれいです。重心移動を覚えれば太鼓から太鼓へ移動しても腰を痛めたりしないし、演奏能力も高まります。僕の身体の使い方、打ち方を体得すれば、腰や身体を痛めない一生ものの技術が身につきます。このメソッドならオーケストラの洋打楽器奏者になったとしても生きるのです。

お弟子さんたちには、何を継承してほしいですか?

「英哲風雲の会」のメンバーは、各々ソリストとして個人の活動もしています。僕が親方として彼らにしてやれることは、海外ツアーなどの、きちんとした舞台の機会をつくることです。僕は技術は教えますが、英哲流とかコピーをつくるつもりはありません。自分の太鼓は本人が見つけるしかありません。彼らに言うんです。「年齢も顔も骨格も違うんだから、僕と同じにはならない。自分なりのものをやりなさい。おまえの人生はおまえしか生きれないのだから」と。

林 英哲 Eitetsu Hayashi

林 英哲 Eitetsu Hayashi
はやし・えいてつ●太鼓奏者。1952年、広島県の真言宗系の寺に8人兄弟の末っ子として生まれる。高校時代、ビートルズのリンゴ・スターに憧れ友人とバンドを結成。70年、美大を目指し上京。71年「佐渡・鬼太鼓座」の創設に誘われ参加、音楽的創造の中核を担う。「鼓童」の創設にも関わるが、82年、ソロ奏者として独立。84年ソリストとしてカーネギー・ホールでデビューし、ベルリン・フィルなど世界的オーケストラや山下洋輔他と共演。98年からは「伊藤若冲」など画家をテーマにしたコンサートも開催。太鼓音楽の革新者として第一線を走り続ける。洗足学園音楽大学客員教授。著書『あしたの太鼓打ちへ』(晶文社刊)。ドキュメント映像に『朋あり。太鼓奏者林英哲』。

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