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sotokoto interview

世紀をまたぐ仕事を、受け継ぐ。 サグラダ・ファミリア専任彫刻家 外尾悦郎 そとお・えつろう アントニオ・ガウディが設計した、「石の聖書」とも呼ばれる贖罪教会サグラダ・ファミリアは、1882年の着工から、スペイン・バルセロナでその建築作業が今も続く。1978年からこの仕事に携わる、サグラダ・ファミリア専任彫刻家、外尾悦郎さんに話を聞いた。 photos : Yusuke Abe text : Yumi Kumaki

ガウディが見た視点で、見る。

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生誕の門に設置された、イエス生誕を祝福して楽器を奏でる15の天使像も外尾さんの作品。ステンドグラスの上には「受胎告知」も見える。

アントニオ・ガウディが詳細な設計図を残さなかったサグラダ・ファミリアを、どのように造っているのかを教えてください。

おっしゃるとおり、ガウディは設計図をあまり描かない人でした。模型はずいぶん残っていたけれど、もともと少ない図面とともに、スペイン内戦中に破壊されてしまった。その残骸を集めて復元したり、手に入る限りの資料を集め、それを手がかりに彼が目指していたものを探していくわけです。それをするためには、ガウディそのものを知ることも大切ですが、それ以上に、ガウディがいた場所に立って、彼の視点で、彼が見ていた方向を見なければならない。

ガウディが実際に手がけた部分には、本当に多くのヒントがちりばめられています。たとえば、ある場所に据えられたあまり目立たない小さな彫刻が、実はその構造の脆弱さを補強し、さらに象徴としてのメッセージをも発している。サグラダ・ファミリアのなかには、そうした場所がいくらでもあります。それらの前に立ち、彼はなぜここにこれを造ったのか、なんのために必要だったのか、どんなメッセージをこめたのかを感じ取り、学んでいく。その繰り返しです。

そして、ガウディならこう造るだろうというものに辿り着く。

ガウディの構想にはなかった、しかし建築物として必要な、「4人の福音書家の塔」に設置された雨樋を、外尾さんがゼロからデザインしたのも、そうした考え方がベースになっているわけですね。

そうです。雨樋が必要だからと、単に機能だけを考えて造るわけにはいかないのがサグラダ・ファミリアなのです。そこにはなんらかの象徴、メッセージがなければならない。

この教会には、いくつもの雨樋があります。カエルやヤモリ、ウミガメなどが彫刻されているのは、水辺の生物を水に関わる場所に置いたということです。だからといって、福音書家の雨樋も水にまつわる生物で造ればいいというわけにはいかない。

サグラダ・ファミリアは、高い場所には天使や鳥、地上に近い場所には両生類や爬虫類を設置するのが原則です。自然と同じようになっている。福音書家の塔の雨樋は、聖堂の屋根よりも高い場所、いわば神の領域にあたるのに、地上の動物を彫るのはおかしい。

では、単純に福音書家を彫ればいいかといえば、彼らを雨水にさらすようなことは失礼だし、そもそも塔自体がマタイ、ヨハネ、ルカ、マルコの象徴になっているわけですから、重複になってしまう。ガウディは、そんな無駄なものは造らないはずです。だから、僕は4人それぞれの人生にまつわるエピソードをイメージさせるデザインにしようと思ったんです。

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あらゆる場所に生き物の彫刻が施されている。

具体的には?

マタイは、イエスの弟子になる以前は収税士でした。そこから、仕事を辞めた、つまりお金を集めるのを止めたマタイの足下には、穴の空いた集金袋が落ちているのではと想像したんです。それで、袋の口に水が集まり、破れた穴から流れ出るデザインを考えました。

ただ、そこまで考え抜いて出した結論でも、正誤をジャッジしてくれるガウディはもういない。つまり最後はご自身の決定を信じるしかないわけですが、それを怖いとは思いませんか?

幸いなことに、長年ガウディを研究している方、サグラダ・ファミリアで50年以上仕事をしてきた人たちが、「これはガウディだね」と言って賛同してくれた。スタッフのなかには、僕が造った模型を見て「これは、ガウディのいつのデザインだ?」と尋ねた人もいます。うれしかったですよ。

もちろん迷うこともたくさんあります。でも、ガウディが遺した「オリジナリティとは、オリジンに戻ること」「人間は創造しない。自然のなかから発見するだけだ」という言葉が、大きな指針になってくれます。迷ったときには、オリジン、つまり原点に立ち戻って見直し、考え直してみることがオリジナリティだと、ガウディは言っているんです。

でも、もしも今以上にすばらしいアイデアが誰かから出されたら、僕はそれに従おうと思っています。少しでもガウディが構想したものに近づけるなら、そのほうがいい。

授かった「知恵」を活かす。

たったひとつのデザインを生み出すのにも、それだけの試行錯誤が必要であるなら、残りたった15年でここを完成させるのは、あまりにも非現実的なスケジュールに思えてきます(執行委員会は、ガウディの没後100年にあたる2026年に完成させると発表している)。

痛いところを突いてきますね(笑)。確かに、大聖堂のなかだけでも、あと100体近くの彫刻が配されるべきだと僕は考えています。サグラダ・ファミリアは、巨大であることだけが存在意義ではない。その巨大空間に、どんなアイデアやメッセージが込められているかが大切なんです。訪れた人々の感性を刺激し、目覚めさせ、さまざまなことを考えさせてくれる、それがサグラダ・ファミリアの魅力であり、価値であるわけですから。

ガウディは、「これは一体いつ完成するんだ?」と尋ねられると、「神はお急ぎになりません」と答えていました。だから急ぐ必要はないはずなんです。

今、僕の考えに賛同・協力してくれる人が世界中に増えて、だから僕は呼ばれればどこにでも行って話をしますよ。サグラダ・ファミリアを通じて、感性を共有できる友人が増えるのは、とてもうれしいことですし。

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訪ねてきた友人と歓談中。周囲には、すぐに人だかりが。

外に賛同者ができればできるほど、サグラダ・ファミリアの現状が辛くなりませんか?

人間がひとりひとり違うのは、神の業です。違うからこそ社会は成り立っている。そのなかで、自分を大事にして、なおかついかに他者を尊重するか。エゴを押し通すだけでは生きてはいけません。人と人とが対立したときに、どうやって解決していくかを考える知恵というものを、人間は神から授かっている。その知恵をどう使っていくかを、我々は問われていると思います。

この教会も、ひとつの社会です。ガウディの時代から、さまざまな考えの人間が関わり、これからも関わっていくでしょう。それはいいことです。同じ人間が同じものを造っているだけでは、おもしろくない。しかし、それぞれの個性を活かしながらも、みながひとつの方向、ガウディが見ていた方向に向かわなければ、おかしなことになってしまう。

ガウディはもういないんだから、なにを造ってもいい、好きなようにやってもかまわないんだ。そんなことをしていたら、この教会は、いつか声にならない悲鳴を上げるでしょう。それを阻止するためには、どうしたらいいか。そうしたことを日々学んでいくこともまた、この教会を造っていくことの意味であると、僕は考えています。とても難しいことではありますが。

外尾さんが復元した「ロザリオの間」を見るたびに、ガウディは現代社会が抱えている問題を見抜いていたように感じます。

今まさに爆弾を投げつけようとしている貧しいアナーキストの青年の指が、実は小指しか爆弾にかかっていない。迷っているのです。しあわせな社会をつくるためには爆弾テロを起こすしかない。しかし忍び寄った悪魔が渡した爆弾を受け取る手が一瞬止まったのは、罪もない人々の生命を奪うことにためらいを覚えたからで、そこには大きな葛藤、苦悩が生じている。

一方の少女も、悪魔が差し出したお金を前に、やはり迷っている。身体を売ってでもお金が欲しい。それは自分のためではなく、病気の家族のためかもしれない。どうしても必要なお金だけれど、身を汚す恐ろしさに震えている。

ロザリオの間には、“誘惑(tentacion)”という象徴的な副題が付いています。このふたりは迷いのなかで、マリア像を仰ぎ見ている。助けを求めている。でも、彼らが誘惑にったか負けたか、答えはこの部屋にはない。ガウディは、見る者に問うているのだと思います。権力や暴力、お金の誘惑に、あなたはどう立ち向かいますかと。

こうした誘惑は、今にはじまったことではなく、何千年、何万年も前から連綿と続いているテーマです。ただ確かに、現在の社会では特に、それはサグラダ・ファミリアも含めてですが、すべての人間が自らに問い、答えを見つけていかねばならないことでしょう。

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左/マリアを仰ぎ見る少女の背後に、悪魔の顔と金の入った袋が。
中央/爆弾にかかったアナーキストの手が、ためらっている。
右/ロザリオの間。手前のアーチ下右側にアナーキスト、左に少女の像がある。壁面中央がマリア像。

根源的な問いとその答え。

外尾さんは、ご自身を石工だといわれます。アーティストと名乗らないのはなぜですか?

僕は、石を彫る職人です。アーティストという言葉は、最近の人間が勝手に作りだした言葉で、職人とアーティストの差なんてない。人を永遠に感動させるもの、時代を超えて愛され続けるものを、たまたま造りだせたそのときだけ、人はアーティスト、芸術家になれるのだと思います。

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大聖堂地下にあるガウディの墓所に手を置き、祈りを捧げる外尾さん。

ガウディは、職人をとても大切にしていたと聞きました。

ガウディは、職人たちの気質を知っていました。模型を見せて、「こんなものを造れないかな」と提案すると、職人たちはなんとかしようとやる気を出す。彼らのアイデアを、ガウディはきちんと耳を傾けて取り入れていった。そうなると、より意欲的になるのが人間です。仕事に対して、細心の注意も払うでしょう。

着工から130年近い時間のなかで、ここでは死亡事故が一度もありません。今よりもずっと厳しい労働条件の現場でそれが可能だったのは、ガウディが職人を大事にし、彼らがそれに応えたからこそではないかと、僕は思います。それが現在まで引き継がれているのは、誇るべきことです。

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ガウディのデスマスク。奥はマタイの雨樋の模型。

最後に改めて、ガウディとサグラダ・ファミリアの魅力を。

ガウディが見ていた方向を見つめていると、本当にさまざまなことが見えてきます。それは建築や彫刻に関してだけではありません。人はどう生きていくべきか、なにが本当に大切なものなのか、人間とはなんなのかといった、根源的な問いに対する答えがある。僕もそれをすべてつかんだわけではなく、ガウディからヒントをもらいながら今も探し続けています。

そういうガウディからのメッセージが詰まったサグラダ・ファミリアは、訪れた人に必ずなにかを気づかせてくれるはずです。それは人間のすばらしさかもしれないし、自分が迷っていることへの答えかもしれない。探せば見つかるものがたくさんあるのが、この教会の魅力なんです。

ガウディが、サグラダ・ファミリアで最後に遺した言葉を、ぜひ読者のみなさんにお伝えしたいと思います。

「明日は、もっとよいものを造ろう」

外尾悦郎 そとお・えつろう

外尾悦郎 そとお・えつろう
1953年福岡県生まれ。京都市立芸術大学彫刻科卒業。旅行中、偶然立ち寄ったサグラダ・ファミリアに衝撃を受け、78年より同教会の彫刻を担当。現在は専任彫刻家。2002年、手がけた15体の天使像を設置したことにより、「生誕の門」が完成。05年、世界遺産に登録された。著書に『ガウディの伝言』(光文社新書)などがある。

ゴミ、捨てんなよ!

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