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福岡伸一の生命浮遊

ヨハネス・フェルメールとアントニ・レーウェンフック。画家とアマチュア研究家。芸術家と科学者といってもよい。いずれもオランダ・デルフトの人。同い年、1632年生まれ。芸術の問いと科学の問いは本質的には同じところに行き着く。生命とは何か。世界の成り立ちはどのようなものか。芸術家が、科学者が、誠実であればあるほど、その問いに答えるために、彼らはまず生命のありようを、世界の現れ方を、できるだけ丁寧に枚挙し、できるだけ正確に書きとめたいと願ったことだろう。つまり、フェルメールが、あたかも写真で撮影したように、室内の光と影をキャンバスの上に写しとろうとしたことと、レーウェンフックが、レンズを磨きに磨いて、ミクロの世界を可視化しようとしたことは、まったく同じ希求の線上にあったと言える。すなわち、フェルメールは科学者であったし、レーウェンフックは芸術家であった。

二人の間に親密な交流があったであろうことは全く想像に難くない。そう私は信じる。二人は同じビジョンを持っていた。ありのままに世界をとらえること、うつろいゆく一瞬を切り取ること、新しい光のテクノロジーを使ってそれを実現すること。しかし、二人の関係を直接的に示す文書的な証拠はどこにもない。公文書、私信、文献。そのようなものは何も残っていない。ただひとつだけ、フェルメールが43歳という若さでこの世を去ったとき、レーウェンフックはフェルメール家の遺産管財人に指名され、その職務を執行した。これは二人が生前、少なからず交流を持っていたことの間接的証拠である。二人は、狭いデルフトの街の、目と鼻の先に住んでいた。そんな二人がたとえば手紙のやりとりをする必要があっただろうか。何か話したいこと、見せたいものがあれば何はともあれ、彼らは互いにドアをノックし合って、顔を合わせたことだろう。

光学的な興味からレンズについて詳しく知っていたアントニ・レーウェンフックは、カメラ・オブスクーラをフェルメールにもたらしたのではないか、と推定される。この装置を得たフェルメールの興奮はいかほどのものだっただろう。フェルメールはきっとカメラ・オブスクーラに夢中になったはずだ。

三次元的に広がる実際の空間を眺めた時、これをいかにリアルに二次元的平面、すなわちキャンバスの上に写しとるか。これがフェルメールの最大の関心事だった。フェルメールが同じような部屋の様子を、同じようなモチーフのもと、繰り返し、繰り返し描いたことは、彼が科学者的なマインドをもって、この問題に幾度となくチャレンジした表れだったと思われる。

カメラ・オブスクーラとは、「暗い箱」という意味だ。原理は針穴写真機である。光が入り込まないように厚い材質(厚紙や木材)で作った箱の一方の壁面に小さな丸い穴を開け、その穴を明るい方向へ向ける。すると外界の光は穴を通過して、穴の反対側の壁に淡い像をつくる。穴が小さいため、通過する光の量は限られ、像はそれほど鮮明にはならない。そこで穴にレンズをはめ込むことが考案された。レンズの作用により、より多くの光を集めることができる。レンズで集められた光はレンズの作用で屈折するため、レンズと像が映る画面との距離が一定のときだけ、像のフォーカスが合って、鮮明な像を結ぶことになる。このため、カメラ・オブスクーラ装置は、レンズの位置を動かすか、あるいはレンズは固定しておいて、像が結ばれる壁の位置を前後できるような調節装置が必要となる。レーウェンフックにとってそんなことは造作もないことだった。

カメラ・オブスクーラの第2の問題点は像の転倒である。レンズを通して入る光は上下が逆転した像をつくり出す。そして同時に左右が反転した像をもたらす。これを何とか解消しないことには、画家は箱に映った反転像をもとに絵を描かねばならないことになる。目で見たものと向きが逆転している画像を写しとることは、感覚的に不自然だし、技術的にも無理がある。

そこでレーウェンフックとフェルメールは何とかこの問題を解消する方法を考案したはずだ。ひとつはカメラ・オブスクーラ装置の内部にミラーを取り付けて像の向きを変えること。この方法の問題点は、最終的に箱の画面に届く光の量が減って、淡い像がより淡くなってしまうことだった。

もうひとつの解決法は、カメラ・オブスクーラ装置をもっと大型化してその内部に画家が入ってしまうことだった。暗幕で作ったテント状の装置の頂上部にレンズとミラーを取り付け、像が真下に投射されるようにする。あるいは箱型の暗室を作って、レンズ部分の反対側の壁に像を移し、画家はレンズを背にして像を写しとる。射影された風景をそのままキャンバスの上に写しとればよい。

フェルメールの絵がいずれも小ぶりで正方形に近いかたちをしているのは、カメラ・オブスクーラに由来する制約ゆえのことではなかったか、と考えられるのである。こんな風に想像をたくましくしてみると、17世紀、デルフトの街の一隅の暗いアトリエで熱心に語り合っていた、二人の人物の表情が生き生きと蘇ってくるのである。


福岡 伸一 ふくおか・しんいち
生物学者。1959年東京生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て、青山学院大学教授。2013年4月よりロックフェラー大学客員教授としてNYに赴任。サントリー学芸賞を受賞し、ベストセラーとなった『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)、『動的平衡』(木楽舎)ほか、「生命とは何か」をわかりやすく解説した著書多数。ほかに『できそこないの男たち』(光文社新書)、『生命と食』(岩波ブックレット)、『フェルメール 光の王国』(木楽舎)、『せいめいのはなし』(新潮社)、『ルリボシカミキリの青 福岡ハカセができるまで』(文藝春秋)、『福岡ハカセの本棚』(メディアファクトリー)、『生命の逆襲』(朝日新聞出版)など。

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