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福岡伸一の生命浮遊

私たちのもっとも身近な隣人、腸内細菌について話を続けてみたい。お母さんのお腹の中にいる時期の胎児の消化管内はクリーンで、腸内細菌はまだ一匹も棲みついていない。生まれたあと徐々に細菌がやってきて町内ならぬ“腸内”にコロニーをつくっていく。細菌はどこからくるのだろうか。正確に言えば、細菌は赤ちゃんが生まれた「あと」初めてやってくるのではなく、生まれる「最中」からやってくる。赤ちゃんは子宮から押し出され、そのかわいらしい、しかし大きな脳をもつ頭部を狭い産道にこすりつけながら、やっとの思いで外に出てくる。まさに生まれ出ずる苦しみだが、このとき、赤ちゃんは好むと好まざるとにかかわらず、産道(すなわち膣)の壁に口や鼻をぴったりと押し付けられることになる。膣の壁は外界に直接通じており、そこはある意味で雑菌がうようよ棲みついている。赤ちゃんはこれらを無理矢理なめとらされる。赤ちゃんはお母さん以外の生命体に初めて出会うことになる。これが腸内細菌の最初の候補者となる。

ちょっと聞いただけではなんともワイルドな話に思えるが、これは実はとても大切なプロセスなのである。

今、私は膣の中の雑菌と書いたが、ほんとうはここに棲息している菌は、雑多な菌がランダムに居候しているわけではなく、環境と生体とのあいだのせめぎ合いとバランスによって選抜された細菌のコロニーが形成されている。細菌たちは膣内に悪い細菌が繁茂しないよう、身体を守ってくれているのである。

その主たるものは腸内細菌と同じく、乳酸菌とビフィズス菌である。しかも膣内の細菌コロニーは動的に変化している。妊娠が後半期に入ると、膣の分泌液の成分が変化し、グリコーゲンのような糖分の濃度が増加してくる。グリコーゲンは乳酸菌やビフィズス菌の大好物で、グリコーゲンが増えると乳酸菌やビフィズス菌の数も増える。乳酸菌はその名のとおり、増殖に伴って代謝産物として乳酸をたくさん生産する。乳酸は周辺の環境を酸性化する。乳酸菌やビフィズス菌は酸性環境でも平気だが、他の一般的な細菌は酸性が苦手である。だから妊娠のこの時期、乳酸菌やビフィズス菌が増勢することは、膣に病原菌が進入してくるのを防ぐ働きがある。母体はグリコーゲンを分泌することによって積極的に乳酸菌やビフィズス菌を支援しているのだ。

そしてこの乳酸菌とビフィズス菌が、そのまま赤ちゃんの腸内細菌として移植される。つまりこれは赤ちゃんがすばやく環境に順応するための、母親からの大事なプレゼントということになる。

ならばここで自然に浮かんでくる疑問は、帝王切開の問題である。

帝王切開によって取り出された赤ちゃんは、産道を通って乳酸菌やビフィズス菌を受け取るプロセスを経ないで生まれてくることになる。

とはいえ、帝王切開によって生まれてきた赤ちゃんたちの消化管内は無菌となるわけではない。ある調査によれば、正常分娩で生まれた赤ちゃんが母親の産道で細菌をもらっているのに対して、帝王切開で生まれてきた赤ちゃんたちの消化管内に定着していたのは、彼らをとりあげた病院の医師や看護師といった医療関係者の指や手のひらに着いていた皮膚常在細菌だったという。これは赤ちゃんが本来、獲得する腸内細菌ではない。この差はどのようなことをもたらすのだろうか。

ひとつは、もともと親がアレルギー体質である場合、帝王切開によって生まれた子どものほうが、正常分娩で生まれた子どもに比べ、アレルギー疾患のリスクが高まるというデータがある。乳酸菌やビフィズス菌のような善玉菌によって腸内細菌のコロニーが優勢な状態になっていることが、免疫系を安定させ、過剰な反応、すなわちアレルギーを起こしにくくしている、ということがいえる。ただし、このデータはあくまで、もともと親にアレルギーがあるケースで、親がアレルギー体質でない場合には帝王切開によるリスクの上昇は観察されなかった。そしてたとえ帝王切開で生まれた場合でも、その後の環境とのやりとりによって徐々に腸内細菌として乳酸菌やビフィズス菌が増勢してくる。正常分娩の場合、その適応が母親からのプレゼントによって、より早いヘッドスタートを切ることができる、ということである。

現在、先進国では帝王切開によって生まれる赤ちゃんの比率がどんどん増加している。米国では3人に1人が帝王切開で生まれている。これは注意が必要なほど高い率であり、進化が編み出した自然のしくみから逸脱している。研究者の間では、帝王切開で生まれた赤ちゃんに膣分泌液を与えればよいというアイデアまで提案されているらしい。

参考文献:『寄生虫なき病』(モイセズ・ベラスケス=マノフ著、赤根洋子訳、 福岡伸一解説・文藝春秋刊)


福岡 伸一 ふくおか・しんいち
生物学者。1959年東京生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て、青山学院大学教授。2013年4月よりロックフェラー大学客員教授としてNYに赴任。サントリー学芸賞を受賞し、ベストセラーとなった『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)、『動的平衡』(木楽舎)ほか、「生命とは何か」をわかりやすく解説した著書多数。ほかに『できそこないの男たち』(光文社新書)、『生命と食』(岩波ブックレット)、『フェルメール 光の王国』(木楽舎)、『せいめいのはなし』(新潮社)、『ルリボシカミキリの青 福岡ハカセができるまで』(文藝春秋)、『福岡ハカセの本棚』(メディアファクトリー)、『生命の逆襲』(朝日新聞出版)など。

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