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伝説の流転企画「憂国呆談」がなんと『ソトコト』で上げ潮進行中!
希代の舌鋒ふたりによる、ロハスな社会のためのクロストーク。
鋭く、ときにゆるく、ときにトリッキーにお届けいたします。
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憂いゴト
狂牛病と地球温暖化問題
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2007年11月1日
スペシャルゲスト:福岡伸一
at カフェ・ド・シンラン
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葉を見て木すら見えない
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福岡さんを迎えた3人のトークは、「四角い画面の中に映像を収めてしまうと、衝撃が薄められる」という阪神・淡路大震災に関する会話へと飛び、それを受ける形で、話題はフレームの話に……。
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田中: |
僕は地図を見るのが大好きで、ノートパソコンにも詳細な全国地図帳をインストールしているの。でも、上下左右にスクロールしたり、拡大したりはできても、画面のサイズ自体は変えられない。昔、紙の地図だと違ったでしょ。手で動かして変幻自在。実はデジタル化すればするほど、逆に全体像を捉えにくくなる。しかも、見えていない部分を洞察したりする体験が減ってしまう。「葉を見て木すら見えない」とか、「葉の中の点しか見えていない」とか、そういう困った現象や行動が増えてるよね。
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浅田: |
TVでもパソコンでもケータイでもカーナビでも、フレームの中で解像度だけ上げたって空しいんで、フレーム以外のところは見えないようになってる、それが根本的な問題なんです。むろん解像度が上がって便利になるのは結構なことだけど、最終的には、フレームを疑うこと、フレームの外を想像することが重要なんですね。
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田中: |
お勉強だけしている人は、決められた枠の中を綺麗に塗り分けるのは得意でも、その塗り分け方は例えば、築地の市場を売って2兆円を得たほうが都の財政に貢献するから、豊洲のガス工場跡地に移転させちまえ、という愚かな次元だったりする。福岡さんみたいに分子生物学を究めた人が、アルゴリズム(数字に基づく定型的な手法)にとどまらない思考の持ち主なのは貴重だよ。そんな学者は少ないでしょ。
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浅田: |
少ないよ(笑)。
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福岡: |
基本的に、田中さんのおっしゃったことっていうのは非常に面白いことで、拡大すると、フレームは変わらないけれど倍率は変わるわけです。視野が狭くなると同時に、物理的には光の量も下がってくるので、視野はどんどんどんどん暗くなるんです、リアルには。でも、バーチャルには、それは少しも暗くならないで、きれいに見え続けるという幻想の中に、私たちはいるんです。だから、そこに大きな誤解というか、私たちが陥っている、見え方の幻想というのがあるんです。ひとつは部分っていうのはないということ。もうひとつは、どこまでも明るく見えるはずがないということです。
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浅田: |
インターネットに接続されたパソコンの前に座っていれば、あらゆる情報が取れるかのように思えてしまう。実際、世界中の情報が取れるわけで、それはいいことですよ。ただ、それで何でも見られるかのように思うと、罠にはまることになる。今だってこの場所に3人集まって話しているわけで、効率主義的にいえばそれぞれのオフィスからネットで交信すればいいようなものだけど、やっぱり、同じ空間と時間を共有することで、情報量では測れない豊かさをもった出来事が発生するんですね。
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