伝説の流転企画「憂国呆談」が『ソトコト』でサステイナブルに展開中! 帝国ホテルのコンファレンスルームより、 稀代の論客ふたりが送るロハスな社会のためのクロストーク。 先の衆議院選挙で兵庫8区から出馬し見事に当選を果たした田中康夫氏が、 激しい選挙戦を振り返りつつ、 新内閣の顔ぶれを浅田彰氏と確かめた。
憂いゴト
talk 22

兵庫8区での衆院選の戦いと鳩山新内閣の印象、新型インフルエンザのワクチン製造まで!

アーケード街に事務所。田中流の戦いで勝利

帝国ホテルのコンファレンスルームに入ってきた浅田彰氏は開口一番、「おめでとうございます」と、田中康夫氏の衆議院選挙の勝利を笑顔で称えた。「いやぁ、充実した愉しい激戦だったよ」と、田中氏もはにかむように笑う。和やかなムードで対談は始まったが、新内閣成立と民主党政権の政策に話題が及ぶと、次第に熱を帯びていった。


浅田:

神戸空港建設反対運動で政治活動を始めた田中さんが、長野県知事、参議院議員を経て、兵庫8区の尼崎市で衆議院選挙に出馬。空港建設を支持した連合が社民党候補を応援する中、公明党の重鎮・冬柴鉄三を破って議席を獲得したというのは、すごいストーリーだね。小説家は休業中かもしれないけど、身をもって物語を生きてる(笑)。元中央公論社の編集者の故・安原顯に聞かせたかったね。


田中:

応募作の『なんとなく、クリスタル』を見出した『文藝』編集長だった河出書房の故・金田太郎にもね。


浅田:

どうでした、今回の選挙は?


田中:

うん、あらゆる意味で前人未到の愉しい選挙だったよ。兵庫8区の尼崎市は、おっしゃるとおりに公明党の冬柴鉄三の牙城で、一説には5万人以上もの創価学会を信じる人たちが住民票を置いて暮らしている街。しかも兵庫県には、反自民・反共産の「連合5党協」という不思議な組織を連合(日本労働組合総連合会)が束ねていた時期があって、連合の会合に公明党が参加して、公明党の会合に連合が顔を出すという風習も続いていた。支持率18%の麻生内閣と同じ、わずか18%の加入率でしかないのに労働者代表のような顔をしている労働組合、その傘下の地方公務員組織の自治労の人たちの支援を一切受けずに戦うのは爽快だった。ある意味、1回目の長野県知事選挙と似たものがあったね。

あの時も当初、なかなか選挙事務所が借りられなかった。相手陣営から持ち主に横槍が入る。そうした圧力の中で事務所を貸して私が負けたら、周囲からどんなしっぺ返しを持ち主が食らうか分からないもの。でも、今回は阪神尼崎駅前の中央商店街の不動産屋さんが「とにかく探してやる」と言って、アーケード街に事務所を見つけてくださり、商店会会長まで全面支援してくださった。それって、大変な覚悟だよ。


浅田:

JR福知山線の事故のときには、近くの工場が操業を止めて人命救助に奔走したほど、尼崎は人情味が厚い街でもある。昔の町衆文化みたいなのが残ってるよね。


田中:

そう。人情味と正義感に厚く、長いものに巻かれない。生意気言うと田中康夫的なんだ。なのに、そうした尼崎の人たちも、政治となると声を潜めて話さざるをえなかった。その状況を一緒に変えましょうよ、と。とはいえ、そう簡単には進まないよね。立候補表明をした翌々日の7月26日、市の西北端の武庫川沿いの古びた市営団地で最初の遊説をしたの。おそらく、共産党と公明党の支持者が住民の大半だろうと、その場所を選んだ。その予測は当たったんだけど、想定外だったのは、なぜか働き盛りの善男善女が他の地区から大集合していた。

「長野にいらんモンはアマ(尼崎)にもいらん!」「アンタに尼崎の何がわかる?」「住民票はどこにある?」等々、いきなりアウェイの洗礼を浴びせられて、翌日のスポーツ紙に写真入り。その後も、次期東京都知事になりたくて仕方がない副知事の猪瀬直樹が対立陣営の招きでやって来て、田中康夫がいかに悪い奴か講演したんだって(笑)。逆効果なのにね。遊説カーの後ろにも尾行の車。手を振る市民にチラシを渡そうとすると、大音量のクラクションが鳴り止まない。後半になると、田中さぁん、とニコニコ顔で近寄ってきて、握手した瞬間に罵詈雑言。しかも、握った手を離さない(苦笑)。商店街の事務所前で公示日に第一声を行った時も謎でね、人だかりの中をやたら車椅子に乗った人がたくさん通っているの。終了後、スタッフが裏手の駐車場に行ったら、手配師が車椅子の人たちに「もぉ、帰っていい」って言ってたそうだ。マスコミが殺到してたから、カメラマンが車椅子に当たって転倒でもしたら一大事。最終日の20時前に同じく事務所前で演説していたら、知的発達障害と思われる少女の車椅子を、サングラスをかけた女性が押していって、再び私の前に戻ってこようとした。でも、少女は直感で、何か変だと思ったんだ。声を出して抵抗して、彼女も断念したんだけどね。

改めて痛感するのは、自公連立政権に最も期待し支持していた人たちが願ったのは福祉の充実であったのに、福祉も教育も医療も介護も、個人に還元される領域だから、いとも簡単に切り捨ててきた。福祉予算も、立派な施設建設というハコモノ行政だった。他方で公共事業や外郭団体へは、背後に業界や団体が控えるから切り込まなかった。新しい政権も、背後に控える組合や団体のためでなく、個人や地域のために尽くす覚悟を持ち得るかどうか。


浅田:

アメリカのオバマ政権も医療改革で大揺れになってる。議員が地方で集会をすると、草の根市民、しかし実は共和党の送り込んだ右翼「プロ市民」が、医療を社会主義化して老人を安楽死させるのか、とかいって議員を吊るし上げるわけ。オバマは妥協を重ねて乗り切ろうとしてるけど、あれでいいのか。ともかく、それと同じで、劣化したときの草の根右翼は本当にひどい。


田中:

選挙戦の話に戻ると、全国で唯一、タスキすら掛けず、決して「頑張ります」と言わず、当選しても万歳をせずにクラッカーを鳴らすだけの候補者として、ダイハツのミニカーに乗って、朝から晩までマイクを離さずに訴えていると、次第に私の話に耳を傾けてくれる人たちが増えてくるのを感じた。初期にもね、小さな住まいの2階からカーテン越しに手を振ってくれる方がいると、すぐに車を降りて玄関前で「ありがとう!」と言って待つんだけど、なかなか降りてこない。しばらくすると、ドアを少しだけ開けて、「ゴメンね。お父さんも息子も皆、投票するけど、近所の目があるから今日は堪忍な」って反応が大半だった。

うれしかったのは、ある有権者がタクシーに乗ったら、その車の運転手が「社民党や共産党、民主党の候補者も駅前で労働問題を訴えたって、僕らタクシーの運転手にチラシを配りに来た人なんて誰もいない。でも、田中康夫は一台一台、頭を下げて配りに来たよ」と話していたと。そのスタイルは2000年の知事選から変わらないし、当たり前の話なんだけど、組織選挙の政治家には分からないんだろうね。ともあれ、後半になると、マンションのベランダから手を振ってくれる、家から飛び出してきてくれる変化が如実になって、ベルリンの壁が崩壊していくように、尼崎の人々が目覚めていく、まさに今回の選挙は人間性回復運動のようなものだったと思うよ。







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