伝説の流転企画「憂国呆談」が 『ソトコト』でサステイナブルに展開中! 帝国ホテルのコンファレンスルームより、 稀代の論客ふたりが送る ロハスな社会のためのクロストーク。 市場の倫理を忘れたがために起こった 100年に1度の金融破綻の教訓とは何か、 そして、不況を乗り越えるための社会制度や 明るい未来を照らすエネルギー政策を、 ふたつの鋭い視線が見据える。
憂いゴト
talk 16

ベーシック・インカム構想からエネルギーの多極化まで!

人の顔が見える“市場”の感覚を持て!

アメリカの金融破綻の影響がさまざまなかたちで顕在化。私たちは先行きの見えない不安と不信のなかで、出口を模索している。今後の世界経済はどうあるべきか、エネルギー政策はどうあるべきか。1万2000円を手にショッピングへ出かける前に、田中・浅田両氏の言葉に耳を傾けてみよう。


田中:

先日読んだ西部邁のインタビューでね、市場しじょう市場いちばの違いを語っていた。市場いちばと呼んでいた頃は、商品を売り買いする相手の顔が互いに見えていたから、高いと思えば、「もうちょっと安くしてよ」と交渉したり、おばあさんが一人で遠くから買い物に来たら、「おばあちゃん、おまけしとくよ」といたわってあげたり、逆に相手が傲岸不遜な金持ちだったら正札どおり。こうして商売が成り立っていた。ところが、いつしか市場しじょうと呼ばれるようになり、確率とか数学的期待値とか、金融工学と称する数字に支配されるようになってしまい、今回のような金融破綻が起こったわけだけれど、実は、経済というのも歴史現象なのだから、同じ結果は2度と起きない。なのに、机上の近代経済学はそこを勘違いしてしまったと鋭く指摘していた。


浅田:

フリードリヒ・ハイエクの考えた「市場」は、本当はそういうものだったんだろうね。ハイエクは社会主義の計画経済を批判し、市場を重視したけど、それは純粋化された市場じゃなく、歴史的に形成されてきた社会に埋め込まれた市場なんだ。ハイエクのいう自生的秩序ってのは、その全体を指してると考えたほうがいい。そこから市場を取り出して純粋化すると、計画経済の裏返しみたいになり、いずれも数学的論理で社会を動かせると思って暴走して大失敗しちゃうってわけ。


田中:

ゲーム理論なんて代物も実は、競馬の予想と五十歩百歩だったと。なのに「答え」として「数字」が出てくると、誰もがそれは正しいと勘違いして疑いもしない。

河川工学にも、「基本高水流量」と称する理論があってね。100年に1度の大雨にも対応可能な100年確率の雨量を前提として、河川の治水計画が策定されるんだけど、これが実に食わせもの。だって、地震予測と同じで、明日かも知れないし、100年過ぎても降らないかも知れない八卦見のような話なの(苦笑)。しかも河川によっては、20年に1度、50年に1度の洪水に耐えられる20年確率、50年確率の治水計画でも許されてる。つまり、河川ごとに流域住民の生命に軽重を付けちゃう、これぞ恣意的裁量行政の極致。で、100年確率を用いるとなぜか、例外なくダムを造らざるを得ない結論が導き出されるという奇っ怪さ。

浅川ダム建設予定地の長野市に測候所が1世紀以上も前に開設されて以来最大の、しかも100年確率と同等の日雨量だった4年半前、設定されていた毎秒260トンの基本高水流量の、わずか6分の1に過ぎない44トンにとどまったの。森林整備や河川改修の成果を認めて、基本高水流量を再設定すべきでしょ。ところが驚いたことに国土交通省河川局は、24時間通しての降雨量総計は数値どおりでも、1時間ごとの降り方が本来の想定とは違うので、見直す訳にはいかないと(苦笑)。それって皮肉にも国交省は、確率はあくまでも確率でしかない、と認めているって話なんだよ。なのに、その確率自体を見直そうとはしない。で、「確率は何パーセントだ」と言われた途端、多くの人々は思考停止状態に陥って、その数字が一人歩きしちゃう。お上が定めた“かたち”さえ遵守してればノープロブレームなマニュアル型監督行政システム。

国籍法「改悪」も同じだね。ニャンと早くも、日本人男性との間に生まれた子供だと偽装認知届を市役所に提出していた中国人男女が、子供のDNA鑑定を警視庁が行ったらクロと判明して逮捕、と報じられていたよ。昨年末に参議院の法務委員会で僕が質問した際、最高裁の違憲判決ではDNA鑑定制度に言及していないから導入不要と法務大臣は言い張って、DNA鑑定は人権侵害だなぁんてトンデモ答弁までしていたのにねぇ。実に劣化してるよ、洞察力や想像力が。

金融工学も河川工学も六法全書も絶対だと信じて、これっぽっちも疑わないとしたら、天動説の時代と変わらない。全部、人間という不完全な動物が作り出したもので、常に改善・改良され続けるべき代物なのにね。


浅田:

例えば、普通ある階層の人にお金を貸して貸し倒れになる確率は10%程度だとか、それは確率論で扱えるわけ。だけど、今回の金融危機のように、将棋倒しで連鎖倒産が起こるような場合、そのシステミック・リスクは金融工学の計算に入ってなかった。そもそも、最近、竹森俊平がフランク・ナイトを引いて強調してるように、経済で本当に問題になる不確実性は確率の計算ができない不確実性なんだよね。だから、正規分布で扱えるような単純なリスクに関していかに精緻な金融工学の理論をつくったところで、本当は経済のごく一部しか扱えないんだ。


田中:

理論と称するものがあると、みんなそれを所与のものとして認めてしまうけれど、絶対不可侵だった天動説も今ではありえない理論になっているわけでね。「なかみ」でなく「かたち」という表層の銘柄や商標に惑わされちゃいけない。そうそう、ファックス誕生前のデビュー当時、締め切り破りの僕の部屋に原稿を取りに来た、ちょっぴし高慢ちきな編集者に、フォートナム・アンド・メイソンの空き缶に入れておいた日東紅茶をうやうやしく入れて出してあげると、「やっぱりエフ・エムは味が違うわ〜」と感激していたのを想い出すよ(笑)。読者の皆さんも、そういう裸の王様なブランド信仰を悪用している連中に騙されちゃいけないよ。


浅田:

金融工学でノーベル賞をとった連中を集めてつくったLTCMっていうヘッジ・ファンドが1998年に破綻して金融危機が起こりかけた、その時に金融工学の限界はわかってたはずなんだけど、そこからまた性懲りもなく金融の暴走が続いて今回の破綻に立ち至ったわけよ。

そこで市場を手直しするという場合、2007年にノーベル賞をとった連中の考えた「メカニズム・デザイン論」ってのがある。各自が利己的に行動したとき、結果的に正しい情報を開示し、社会的な効率性を実現することになるよう、インセンティヴ・メカニズムをデザインしよう、と。たとえば、ウォール街の銀行家たちは、危ないギャンブルで大儲けしたら何億、何十億のボーナスを受け取る一方、たとえ大損してもたかだかクビになるだけだったから、当然、リスクを過小評価し、危ないギャンブルに走るようになる。だから、それを是正するように、報酬や賠償責任なんかのインセンティヴの体系を変えていこう、と。今さら彼らに倫理的行動を求めても無理だから、彼らがいちばん利己的に動いたときに、正しくリスクを評価・開示し、慎重な行動をとるように仕向けよう、と。

日本人では青木昌彦がそういうメカニズム・デザイン論の先駆者の一人なんだけど、かつて彼の盟友だった西部邁はむしろ市場その他の経済メカニズムが社会の中に埋め込まれてることを重視する立場だろうね。あんまりあざとい取引をしてると、周囲から白い目で見られるとか、そういう暗黙の社会的規範の重要性を再認識すべきだ、と。逆にいえば、市場も実はそういう暗黙知によって支えられてるってことになるわけね。


田中:

数値化やマニュアル化し得ない人間の判断や行為に関して、マイケル・ポラニーは暗黙知(tacit knowing)という概念を示したんだね。それは、数値や法律を超えられない“袋小路な石頭”の演繹法と、理想を語るだけで実効性を伴わない“非現実な夢頭”の帰納法との、不毛な二項対立的論争を超えた、考える葦であればこその叡智なんだね。

背中に眼球がついてる訳でもないのに人が近づいてくる気配を、デジタル表示の計測器を持ってる訳でもないのにリトマス試験紙の色が変わる瞬間を、いち早く察知する人間の“勘性”を侮ってはいけない。そうした暗黙知が市場にも必要なんだ。今回の経済破綻の教訓は、まさにもう一度、市場いちばに戻れということ。そうした人間の体温を持った上で、二元論を超えたインテグレート=統合が必須なのに、机上の空論なマーケット論を信奉する連中が、暴走しちゃった。







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