軍政が続くミャンマーで反軍を掲げる民主化リーダー、アウン・サン・スー・チーさん。 彼女の英国時代の知人が、活動をサポートすべく昨年、会を立ち上げた。 宮下夏生 みやした・なつお ビルマ応援の会創設者。美術史家、元明海大学講師、日本根付研究会理事。英国の大学や大学院に留学し、東洋美術史、西洋美術史、中国語などを学ぶ。現地滞在中の84年にアウン・サン・スー・チー氏と知り合う。2007年に放映された、スー・チー氏を紹介するフジテレビ系『写真物語2』に友人として出演。その後、「ビルマ応援の会」を立ち上げる。
ミャンマーと聞いて、すぐにイメージの湧く人はあまりいないだろう。昨年起きたデモが日本で大きく報じられたものの、「スー・チーさんってどんな人?」「なぜ軍事政権なの?」など、まだまだ不明な点も大いに違いない。 同国が英国から独立したのは1948年。独立運動の主導者、アウン・サン将軍が独立直前に暗殺され、少数民族や共産党勢力により内乱状態に陥った。混乱に乗じ、クーデターを起こした国軍が全権を掌握し、経済は悪化。国民の不満を招き、88年に大規模なデモが起こる。そこで事態収拾という名目の下、現政権(国家平和発展議会:SPDC)の前身、「国家法秩序回復評議会」(SLORC)が誕生。以来、国軍による独裁体制が敷かれ、強制労働や少数民族迫害などの人権侵害で各国から非難を浴びている。国名もビルマからミャンマーに独断で変更したことから、群生に反対する人にはこの国を「ビルマ」を呼び続ける人は多い。 アウン・サン将軍の娘、アウン・サン・スー・チーさんは、学生時代に英国に留学し、その後は2児の母として現地で生活していた。急病の母親に会いに88年にミャンマーへ帰国したときに国内の悲惨な状況を目にし、国民民主連盟(NLD)を組織。現政権からの度重なる妨害にも負けず、民主化実現へ向け活動を続ける。 「自宅に行くと、チョコレートケーキを焼いてくれたりして、彼女は、研究者である一方で、普通の主婦だったんです」と当時のスー・チーさんの様子を語るのは、彼女の知人で支援団体「ビルマ応援の会」の創立者・宮下夏生さん。英国で暮らしていた84年に、知人を介して出会ったという。 「目のキラキラした芯の強い方でした。知人と、今でもその強さについて話すくらい。これと決めたら動かない、性格の強い方です」 プライベートでも、化粧品や歯磨き粉は一つのブランドだけを使用。軟禁中も、今は亡き夫のマイケルが届けていたというから、その信念の強さが想像できる。 20年にわたり、軍に対し変わらぬ態度をとり続けるスー・チーさん。強靭な精神力は、将来のもののようだ。 しかし、彼女の活動も皆の協力があってこそ、と宮下さんは言う。 「軟禁中の彼女に食料や本を届けるマイケルや、彼を支援する周りの人々。多くの人がスー・チーさんを応援しました。私も、彼女の好きなうどんやソバを渡してもらったこともあったんですよ。」 今はスー・チーさんへの締め付けがさらに増し、会えるのは国際連合のガンバリ国連特使のみという。 「彼女が祖国に戻り、すぐに大統領になると思っていたのに、こんなに長引くなんてびっくりです。強い女性だけれど、体が心配です」 スー・チーさんがミャンマーで活動を開始してから、今年で20年が経つ。一刻も早い状況改善を願い、宮下さんは昨年、応援の会を設立。スー・チーさんについてのDVDを作成し、売上金の寄付などを通じて、民主化の支援を始めた。今後はDVDの外国語版を作り、活動を国外にも広めていく予定だ。 軍事政権は、各国からの要請を受け、民主化への移行を発表。2010<年に総選挙を行うとし、新憲法の賛否を問う国民投票をこの5月に開催予定だ。新憲法では軍が政治を主導すること、外国の影響を受けた人物、つまりスー・チーさんなどは大統領になれないことなどが謳われている。果たして民主化の行方は?ミャンマー支援は、まず「知ること」からスタートだ。 |