ソトコト ソーシャル&エコ・マガジン

田中康夫と浅田 彰の憂国呆談2

「観光マインド」発言から、北朝鮮暴発の可能性、日本の危機管理の危うさ、フランス大統領選挙まで。 photographs by Kitchen Minoru text by Kentaro Matsui

東京・東田端にある日本初のユニバーサルシアター、『CINEMA Chupki TABATA』を訪れた田中・浅田両氏。視覚障碍者や小さな子どもを連れたママも映画を楽しめるよう、さまざまな工夫が凝らされた映画館の設備に感心しつつ、美術館や図書館など文化のあり方について語り始めた。

浅田

今日は東京の東田端にある『CINEMA Chupki TABATA』っていう小さな映画館で対談することに。「Chupki(チュプキ)」ってのはアイヌ語で自然の光を意味するそうだけど、目の不自由な人のために映画の場面状況を説明する音声ガイドがイヤホンで聞けるし、小さな子どもや発達障碍の子どもが親と一緒に観賞できる個室も設けられてる。映画は健常者だけのものじゃないってことだね。

そういえば、J.L.ゴダール監督はECMレーベルの音楽をよく引用するんで、逆にECMが彼の映画『ヌーヴェル・ヴァーグ』の音だけまるごとCDにしたのがあって、目の見えない人が映画館でこの映画を体験した感想がライナー・ノートに載ってたな。さらに思い出せば、ウクライナの全寮制聾唖学校に放り込まれた少年が、暴力と性の渦巻くトライバル(部族的)な社会の中で生きるさまを描いたスラボシュピツキー監督の『ザ・トライブ』って映画は、全編ウクライナ語の手話だけで字幕なし、でも稲妻のように飛び交う若者たちの手話を見てるだけで彼らの感情が伝わる──っていうか、簡単にわからないことが実感できる。こういう試みは重要だと思うね。

田中

本当だね。聴覚障碍の克服には早期発見と早期訓練が大切なので、乳幼児版の“きこえの教室”を導入したのも思い出したよ。夜泣きはするけど1歳を過ぎてもウチの子はなかなか喋り出さないし、話しかけても無反応だわ、と1歳半になって医師に相談して初めて、耳が不自由だったと気づく不幸を防ぐ上でも、出産から間もない段階で聴覚検査を行うべき。なのに、国は義務付けていない。そこで知事のとき長野県の独自事業として導入した。そうして、奈落の底に落とされた母親と乳幼児の元へ養護教諭のOBが毎週訪問してケアするのと並行して、南北220キロもある県だけど、月に2回は長野市と松本市のいずれかの聾学校へ親子で来てもらうようにした。6歳で入学してからでは遅いんだ。聴覚や喋りの訓練を受ける間、持参したお茶菓子や野沢菜を食べながら、同じ境遇に直面した母親たちが語り合える部屋を設けた。自分たちだけが取り残されているわけではない、と前を向いてもらえる手助けこそ大切。「自助・共助・公助」の美名の下に被災地でも社会福祉でも弱き者を切り捨てる一方で、「寄り添う」という言い回しが政治家やメディアの常套句だけど、それこそは偽善。24時間「寄り添える」わけもない。ハコモノ行政と違ってわずかな予算でも、数字に換算できない勇気と希望を一人ひとりに与えられると考えたのね。

話を映画と田端に戻すと、僕が思春期を過ごした松本には中劇シネサロンという当時日本で一番小さな、試写室のような映画館があって、高校の授業をさぼって『イージー・ライダー』や『激突!』なんかを観たよ。

大学時代に丸の内北口から駒込病院、田端駅を経て隅田川の中州に町工場が建ち並ぶ小台おだい、そして荒川土手を経て、今は東武スカイツリーラインと名前が変わった伊勢崎線の西新井を結んでいた東43系統の都バスからボケーッと車窓の景色を眺めるのが好きで、このあたりは懐かしい場所。JR東日本の東京支社のビルも駅前に出現して、ずいぶんと変わったね。乗降客や地域住民の買い物も食事も宿泊もすべて駅構内で完結させる「走る不動産屋」路線をJR各社は突っ走り、全国の駅前商店街が空洞化していく中、東田端商店街は踏ん張ってると感じたよ。

浅田

JR東海はリニア新幹線建設へと突っ走ってて、車内誌の『ウェッジ』でも大々的に宣伝してるけど、築地市場の移転問題についても、「安全」は科学的に確認されてるのに民衆が「安心」にこだわるのは愚かだっていう移転促進の論陣を張ってる。しかし、低線量放射線被曝の問題と同様、安全基準ってのはほとんど政府の審議会なんかでの政治的妥協の産物に過ぎない。そもそも、今まで反証されてないけれど後で反証されるかもしれない、それを認めるのが科学的ってことなんで、審議会で基準が決まったから絶対だって言った瞬間にそれは科学信仰って名の非科学的迷信になる。

田中

科学は自然現象だから二度と同じことは起きないし、経済も歴史現象だから二度と同じことは起きないのに形式知で類型化して「絶対視」するのは、机上の空論だった社会主義の計画経済の失敗から何も学んでいない。

浅田

サンク・コスト(埋没費用)論で言えば、巨費を投じて豊洲市場を造っちゃったからには使わないわけにいかない、と。それなら誤った計画で造ったものすべてを認めることになっちゃう。

田中

まったくね。ダムがないと洪水になっちゃうと計画されたのに63年間も造られず、ようやっと今から2年前に本体着工した八ッ場ダムに象徴される不要不急な公共事業も、途中で止めた場合に取り付け道路等にそれまで投じた資金や労力が無駄になるから、そのまま続行して完成させたほうが“お買い得”というサンク・コストと称するマルチ商法みたいな机上の空論がまかり通っている日本は、天動説の時代の科学を笑えない。

浅田

他方、松坂屋の跡地にできた銀座SIXに行ってみたら、普通のデパートと差別化するため高級ブランド店が並び、蔦屋のイヴェント・スペースでは杉本博司・蜷川実花・名和晃平の「感覚の庭」と称する展覧会も開かれて、華やかではあった。前に公開対談をやった代官山店を高級化した感じ。ネット配信が進んで、CDやDVDのレンタルだけではやっていけないから、文化サロンにして体験を売ろうってことだろうけど、都心ならともかく、全国展開の事業としては難しいだろうね。

田中

しかも、民間感覚と称して運営を請け負った武雄市図書館や海老名市立中央図書館に、ゾッキ本としての価値すらない古い実用書を大量陳列して生まれた利ザヤが原資だとしたら、何をかいわんや。HuluやNetflix、Fire TVに侵食される業界の雄が抱く危機感の反映が、その程度の生き残り策だとしたら哀しいね。

浅田

パブリックな図書館が、市場の流行から距離を置いて、一見地味でも長く読み継がれる本をちゃんと揃えとくのは大事なこと。何でも民営化すりゃいいってもんじゃない。

田中

山本幸三地方創生大臣が、「いちばんのがんは文化学芸員。観光マインドがまったくない。一掃しなければ駄目だ」と発言して批判された。そりゃあ旧態依然の学芸員だって中にはいる、教員だってそう。だからこそ目利き・鼻利きのコニサーを育てることが大切。以前に浅田さんが連れて行ってくれた『東京ステーションギャラリー』の「ディスカバー、ディスカバー・ジャパン『遠く』へ行きたい」みたいな企画を実現できる学芸員と、そうじゃない学芸員もたしかにいるからね。

浅田

ただ、あえて言えば、学芸員は現在の市場に対応するんじゃなく未来の世代に文化遺産を残すのが一番の仕事なんだから、保守的でもいいんだよ。国宝の建物で飲食を伴うパーティは原則的にできない。当たり前じゃない? 逆に言えば、ルーヴル美術館も故宮博物院も敷居が高いからこそあれだけの観光名所になってるんで、「観光マインド」を発揮してそれをディズニーランドやユニバーサルスタジオみたいにしちゃったら価値がなくなっちゃう。

田中

1900年のパリ万博に合わせて建設されたオルセーの駅舎を美術館として再生したのは大いに結構。他方で、木造駅舎としては都内最古の原宿駅の表参道口をオリンピックまでに全面改築するのはダメでしょ。正々堂々と憲法改正の具体的内容を国民に説明するならともかく、オリンピックを迎えるので憲法改正、とレヴェルの低い発想で五輪を政治利用するのと同じ穴のむじなだよ(苦笑)。とまれ、山本の頭の中の「観光マインド」って、オリンピックを迎える「2020年を目処に『国民のトレンド』を変えていくことで50年後にも1億人程度の安定的な人口構造を保持することができる」と2014年6月に閣議決定したのと同じお花畑なオツムなわけよ。サンク・コスト論を信奉する一方で、内閣官房参与の浜田宏一に代表されるリフレ派経済学者の出口なき金融緩和も礼賛する連中に限って、国立文楽劇場で人形浄瑠璃を演ずる文楽協会への補助は意味がないとか、視野狭窄な物言いをするんだよ。いやはや。

浅田

むしろ、この映画館みたいに儲からなくても大切な事業こそ、国が率先してやるべきなのにね。

田中 康夫

田中康夫 たなか・やすお
1956年東京都生まれ。一橋大学法学部卒業。大学在学中に『なんとなく、クリスタル』で文藝賞受賞。長野県知事、参議院議員、衆議院議員を歴任。最新刊は『33年後のなんとなく、クリスタル』。http://tanakayasuo.me

浅田 彰

浅田 彰 あさだ・あきら
1957年兵庫県生まれ。京都大学大学院経済学研究科博士課程中退。京都造形芸術大学教授。83年に出版されたデビュー作『構造と力─記号論を超えて』はベストセラーに。

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