ソトコト ソーシャル&エコ・マガジン

田中康夫と浅田 彰の憂国呆談2

「ボルタンスキー展」から、アメリカ大統領選挙、大阪府警の土人発言まで。 photographs by Hiroshi Takaoka text by Kentaro Matsui

東京・白金台にある『東京都庭園美術館』で開催中の「クリスチャン・ボルタンスキー展」を訪れた田中・浅田両氏。昭和初期に朝香宮邸として建てられたアール・デコ建築を味わい、展示されているボルタンスキーのアート作品を鑑賞しながら、世界のこと、日本のことを論じ合った。

浅田

今日は東京都庭園美術館で「クリスチャン・ボルタンスキー展」を観た。ここはもとは朝香宮夫妻の邸宅で、対談をしてるこの部屋は運転手の控室だったっていうけど、立派なもんだね(メインカットは大食堂で撮影)。

田中

解説資料によれば、1933年に竣工して朝香宮夫妻が暮らし、戦後の47年から54年まで政府が借り受けて吉田茂外相・首相の公邸として使用され、赤坂の迎賓館が再開される74年までは白金迎賓館として使われた。その後、83年に東京都庭園美術館としてオープンした。

浅田

高輪プリンス、赤坂プリンスと同様、西武鉄道がここと隣の自然教育園を合わせて高層ホテルを造ろうとしたけど、反対運動が起きたため、都が買い取って美術館にした。よく残ったもんだよ。

朝香宮は22~25年にフランスに留学、25年のアール・デコ展を実際に見て、帰国後アール・デコ様式の邸宅を建てた。ルネ・ラリックによる正面玄関のガラス扉をはじめ、金属やガラスの装飾や照明は高度に洗練されてる。建築自体は野暮ったいところがあるものの、日本でこれだけのアール・デコ建築は珍しい。

まあ、当時の皇族がいかに贅沢をしてたか、その証拠でもあるけど。

田中

開館前年の82年から5年ほど白金台に僕は住んでいたので、85年に開催されたコルベール展をはじめとして散歩がてら何度か観に来たよ。

ルイ14世の側近として17世紀に重商主義を徹底した財務総監のジャン=バティスト・コルベールの名前を冠したのが、1954年に香水のゲランの3代目が創設したコルベール委員会。国内産業を保護したコルベール主義を蘇らせ、他方でブランド品の輸出を奨励してフランスを復権させる政府戦略の下、オートクチュールや宝飾品等のフランスの老舗75社が会員として名前を連ねている。今にして思えば、ドナルド・トランプが唱える保護主義のフランス版の先駆けとしての展示だった訳だ(苦笑)。

浅田

ボルタンスキーは2010年の瀬戸内国際芸術祭で香川県・土庄町の豊島てしまに「心臓音のアーカイヴ」をつくり、いまも常設施設として公開されてる。世界の人々の心拍を録音して、真っ暗な部屋の中で再生し、その音に合わせて裸電球が点滅するという、すごく印象的な作品。僕の心拍も検索すれば出てくるけど、異常に速い。実は、豊島の学校の講堂で作家と対談したとき、暑すぎて熱中症で倒れかけてたから(苦笑)。今年の芸術祭では、豊島の森の中にたくさんの風鈴を吊るし、島民ら一人一人にとって大切な人の名前を短冊に記した「ささやきの森」が展示されてて、ここでは映像で紹介されてた。

田中

理不尽にも当時の香川県が黙認し続け、高松からフェリーでわずか35分の場所の惨状を、地元紙も全国紙の地方面も13年間にたったの1行も報じなかった違法な巨大産廃処分場の撤去に向けて地域住民が、ひるまず、屈せずに闘い続けたのが豊島の歴史。浅田さんと一緒に訪れ、『週刊ダイヤモンド』で連載していた「憂国呆談」で語り合ったのは2004年。フランスのファブリス・イベールが神宮前のワタリウム美術館を野原や畑に変えちゃった意欲的な展覧会の際にも『ソトコト』の連載(2008年7月号)で、豊島の話をしたのを想い出すね。

田中 康夫

田中康夫 たなか・やすお
1956年東京都生まれ。一橋大学法学部卒業。大学在学中に『なんとなく、クリスタル』で文藝賞受賞。長野県知事、参議院議員、衆議院議員を歴任。最新刊は『33年後のなんとなく、クリスタル』。http://tanakayasuo.me

浅田 彰

浅田 彰 あさだ・あきら
1957年兵庫県生まれ。京都大学大学院経済学研究科博士課程中退。京都造形芸術大学教授。83年に出版されたデビュー作『構造と力─記号論を超えて』はベストセラーに。

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