ソトコト ソーシャル&エコ・マガジン

ソトコト×無印良品×ユトレヒト 親子でつくる紙管こどもイス クリエーター50人からの贈りもの

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ハプニングで世界は成り立っている

プロダクトデザイナー 深澤直人

「考えて何かをするよりは、ハプニングすることが大切」。プロダクトデザイナーの深澤直人さんは、このコンセプトをベースにあらゆるモノと向き合う。人間の行動を深く見つめ、自然にハプニングすることをそのまま素直に「見つける」のが深澤さん流。ブックショップ『UTRECHT』代表の江口宏志さんが、"寺子屋"と名づけられたイスが生まれた経緯や、デザインについて伺った。

子どもが遊ぶ時、イスにはあまり座らない

江口
背もたれに色鉛筆が、座面にはリングノートが備わる "寺子屋"。このイスを発想したきっかけなどを教えて下さい。
深澤
娘が小さい時に使っていた丸い木のスツールも、紙管こどもイスと同じくらいの高さでした。そこで絵を描いたり、親が座ったり、3つ寄せたらローテーブルみたいになる、自然に多機能になるものでした。小さなスツールとして買ったもの自体にいろんな機能が含まれているのは使いはじめてわかる。そこでハプニングが起こるのです。それだけそのスツールはフレキシビリティーがあると言うこともできます。

そういう印象があったのでこのイスを見た時、子どもが床に座って何かを描いている姿が頭に浮かび、背もたれのMUJIの色鉛筆、座面のリングノートと連動しました。子どもがこれと遊ぶ時、イスとは捉えないのではないかと。子どもの気持ちになったら、床に座って何かを描くだろう。その方が自然なインタラクション、自然にハプニングすることなので、イス自体を装飾してデザインするよりも、そっちだろうと思いました。
江口
機能を転換させるというよりは、自然に思いついたことなんですね。
深澤
僕が自然に思いつくのではないですよ。遊ぶ人が自然とそうなるだろうと。これは僕がデザインする時のベースとなる考え方で、人が考えて何かをするというよりは、ものと一緒にハプニングすることの方が自然です。皆、イスは正面から座ると考えますが、実際には最初は斜めにも座りますよね。それがハプニングです。

発生するというか、起きてしまったことなので、最初からイスだといって、座るとは限らない。ひねってテーマを変えたというよりは、子どもだったらそうするだろうと思ったから。そんな子どものハプニングから、皆が床に座り、四角いデスクが並んでいる様子が頭に浮かび、寺子屋という名前が面白いと思ってつけました。
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銀座松坂屋にあるMUJI BOOKSのディストリビューションを手掛ける江口さんだが、深澤さんとじっくりと話すのは初めて。「最後は深澤さんで!」というたっての希望で実現した。インタビュー後には「緊張した~」とホンネも。

人間の「考え」で世界が成り立っているわけではない

江口
今回、子どもに対しての贈り物というテーマで、さまざまなクリエーターの方々に制作をお願いしました。子どもへ向けてのメッセージはありますか。
深澤
ない方がいいと思いますね。あえてこうして欲しいとか、こう使ってほしいとか言わない方がいいと思います。私たち大人はある程度、経験値をもっているので、モノを定義づけられるけれど、子どもにはそれがない。だからイスだという定義も、テーブルという定義もないので、すべてはハプニングなんですよ。大人が子ども用のおもちゃをつくって、こうやって遊んでほしいなんて言うのは願いであっても、実際にはそうなりません。それが自然だからです。

紙でできたイスであること自体、彼らの少ない経験値からすると、別の堅い素材でできたイスの上に紙をのせて描くとか、座るとか、そういうイメージから遠いのです。紙管でイスをつくること自体は、別のさまざまな要因で生まれてきているのですが。紙は描くもの、崩れるものなので、そこから彼らは発想し、行動を見つけ出すのです。よって、この紙管イスにいろいろ描いていいと発想されていることは、自然なことだと考えられますね。
江口
今回のイスでは描くという行為が、またMUJIのCDプレーヤーにしても電源を入れるのに紐を引っ張るという行為がすごく考えられています。深澤さんのデザインには、使い方がデザインされていると思いますが。
深澤
僕がデザインするというよりも、そうなってしまうのです。すべて同じ状況下の場合ですが、このカップをどう持つとか、このイスにどんな風に座るかということが決まる。もしそこで違う行為が現れたら、その時にそのもののことを考えたとか、何か別の、自然でないものが介在したんです。そのもののことを考えていないという同じ状況の場合は、行為は同じようになる。例えば、テーブルの角に丸みがあるから触るとか、考えてないでやりますよね。

そういうことで世界が成り立っているので、人間の考えで成り立っているわけではない。自分の体にはメモリーされるけれど、自分の頭には思いとして行為を記憶しようとはしていない。でもそれを形として出されると、皆そのとおりにやってしまいます。何にも教えてなくても人は、CDプレーヤーのスイッチにつながる紐を引っ張って、ああそうかと思う。そういう風に世界はできているのです。

世界は決まっている。そういう風に世界を見ると、デザインすることはそれほど難しくありません。皆、デザインする時に、人はどう考えるかとそういうことばっかり考えてしまうから、かえってややこしいことをしてしまうんですよ。

デザイナーのアイディアは「気づく」ということ

江口
深澤さんがよくお話され、プロジェクトや本にもされている"WITHOUT THOUGHT"(考えずに/思わず)がすごく面白いと思ったのですが。
深澤
そこに基本的なことが書かれています。ただ僕は観察しているだけだから、僕の考えではないんです。でも見つけるのが、なかなか難しいですよ。皆が普通にやることを聞いても、分かってしまえば当たり前だけれど、誰も分からない。それに気づくことがクリエーションですよ。

「あなたは、こうしてお茶を飲むでしょう」と言われたら分かるけれど、「お茶を飲むカップを考えましょう」と言われたら、どんなデザインにしようかということになるから、急に自然な行為から離れてしまう。自分がどうやって飲んでいるか、知らないですから。それに気づけるようになると、アイディアを考えるということがなくなるんです。デザインはその気づきからかたちを具体化することです。

素直になって、気づければいい。ジョークと同じで、人がどう動くかを先に知っていていて仕掛けをつくるようなものだから、使う人は知らずに使わされることになる。CDプレーヤーの紐を引っ張ることは行為としてはまっているけれど、はめられちゃったから、人は照れ笑いするんですよ。それがウィットな部分を生んでいるんです。

相手がしてしまうことを先に読んでものでさらっと知らせると、素直に共通のグラウンドに立てて、同じ人間であることを知らされます。それは一般化した人全部を知るのであって、固有の人の心や考え方を知るのではありません。だから傷つかないし拒否されない。理解という言葉は、相手の考え方や個性を理解する場合に使われますが、考え方や個性は皆違うから、そんなところに共通事項なんて見出せない。同じように座って、同じように飲んで、同じように書いてと、行為でつながった方が、結局いろいろ言っても皆同じみたいな感じになるので、楽に笑えるんですね。
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深澤さんは手術室や医療機器のデザインを手がけたことも。「アメリカでは人工心臓のデザインに携わり、現場を観察し、ものすごく勉強したましたよ」と深澤さん。自分の経験値が少ないモノこそ、「観察」がないとデザインができない。

子どもの行動の中に、ヒントがたくさんある

江口
深澤さんは、プロダクトデザイナーや会社自体のアドバイザーとしてMUJIと関わっていらっしゃいますが、どんな感じで仕事をされるのでしょうか。
深澤
今のインタビューと同じような感じです。大喜利のようにテーマを与えられて、すぐに答えを出さなきゃいけない(笑)。持ち帰って考えますということは、ありません。アドバイザーとして、MUJIとは何かという意見を求められることもあります。デザイン、全体の商品のラインナップ、経営についてと、三方面で関わっています。
江口
反射神経で答えるように、すぐに答えを導き出されるのですね。
深澤
皆が気づかない人の無意識の行為の世界の中で、自分は生きていますからね。人の思いや考えをみないようにすると皆同じなので、そうすると見えてくるものがたくさんあります。人の考えに沿おうとするから、不自然な世界を見たり、不自然という変な自然を見たりしてしまう。考えないで人がする行為を見ていると、緊張している、不自然になっている、嘘言っているなど、見ていてよく分かります。

考えない行為というと、配慮が足りないとか、自分勝手な感じのネガディブな意味にとられることもありますが、天然という言葉に近い、自然に発生するという意味もある。子どもはすべて天然ですから、いくらこのように行動しなさいと言っても、そのとおりには動きません。だからよく見て観察しないと、この寺子屋のようなイスをつくることはできません。大人が子どもにこんな洋服を着せたいと夢をもつのと、子どもが自然に着たくなるものは違うかもしれない。直感的な子どもの行動の中に、ヒントがたくさんあるのです。

ゴミ、捨てんなよ!

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