トゥリ・ムンプニさんが設立したNGO「IBEKA」は、そうした状況のもと、小規模水力発電の「地域協力型」スキームを考案した。協同組合形式で発電事業を行うこの事業では、地域の電化だけでなく、余剰電力の売買によって得た収入でヘルスケアや子どもたちの教育に関する費用もまかなえる。
ムンプニさんたちは、確実に社会のあり方を変えてきた。また、同じようにエネルギー問題を抱える多くの国々に与える示唆も少なくないはずだ。「問題を解決していくには、“アウト・オブ・ザ・ボックス(社会の常識やルールといったものの外側に立って考えていくこと)”の視点が大切ね」と、こともなげに笑うムンプニさん。彼女が変えてきたのは、数多くのシステムだけではなく、人々のなかに強く根付いた“常識”という物事の見方や考え方だった。

地域協力型スキームによる小規模水力発電に注目した経緯を教えてください。
世界のいたるところに資源はありますが、その多くが、地域に還元されていません。地域と資源が切り離されているため、コミュニティ自体は利益を得られない。だから、地域の資源とコミュニティを繋げる活動が必要だったのです。
インドネシアには、石油、石炭、ガスなどの資源とともに、水の資源も豊富にあります。雨量も多いし、河川や滝もある。この強力な再生可能エネルギーを利用すれば、無電化の状態にある遠隔地の地方コミュニティでも、電力供給システムが利用できると考えたのです。
政府は長年取り組んできた小規模水力発電を軌道にのせられず、IBEKAは成功した。違いはどこにあるのでしょう?
これまでの政府のやり方はトップダウン。地域のことなど、お構いなしの民間企業が入札するようなプロジェクトでした。地域の声を聞くこともなく、発電機だけを入れても、住民は自分たちの問題だと思えません。そこが失敗の原因でした。設置はされてもメンテナンスされない発電機は、半年から1年後には壊れ、各地で記念碑化していました。
私たちが大切にしたのは、コミュニティの人々自身が参加すること。計画から設置、運営のほか、収益をどのように利用するかまで、すべてのプロセスで住民たちに決定権を持たせないといけません。持続可能な施設をつくっていくには、住民の希望を反映させるだけでなく、率先して物事を決めてもらう必要がありました。
重要なのは、彼らの生活や方法を尊重すること。目線を合わせて、共感していくこと。そのうえで「どうぞ参加してください」とプロジェクトに招待すると、彼らの能力や自立性はどんどん高まっていきます。これはとても興味深いことでした。コミュニティへの尊重と参加の機会、自立性という3つの要素がバランスよく回り始めたら、プロジェクトは独自の駆動力として、自然と動き出していくのです。
実際、プロジェクトはどのように進められるのですか。いちばん初めに村を訪れたら、どんなことを村の人に言うのでしょう?
まずは、ビレッジ・ミーティングから始めます。そして、村には可能性が秘められていることを説明します。村人自身が参加したいと思い、自前の組織をつくる気があるコミュニティとだけ一緒にやっていきます。
運営やメンテナンスなど、実際の働き手を探して、長い時間をかけてトレーニングしていくことも大切です。こうした村々には、小学校すら卒業できず、字の読み書きができない人も少なくありません。そのため、最低で2~3か月、最長で5年間のトレーニング期間が必要でした。私たちは村に住み込み、協同組合の運営から、配電の点検・保守、機械のメンテナンスといった専門分野まで、時間をかけてトレーニングを行います。そして、プロフェッショナルな仕事ができるようになって、初めて発電事業を行うのです。
発電機の平均出力は250kW。ある545世帯の村では、地域全体の電力をまかなったうえ、余剰電力を売電することで、運転後たった1年で5000ドル相当の収入を得ることができました。村に財源ができるので、学校やクリニックなどをつくって、教育や医療のための費用としても、道や橋、灌漑用水路といったインフラの設備の費用としても使用できます。この使い道も住民自身が決めていくのです。
地域には新たな雇用が生まれます。発電所で働くほかにも、タービンをつくる事業が必要となり、電気が通ったことによって木工品づくりなどの新しい産業が生まれたところもあります。主要産業のひとつ、コーヒー栽培の現場でも、電化によって何倍もの効率化を図れるのです。
テクノロジーは道具でしかありません。重要なのは、その後の生活。電気が村に持ち込まれたことで、どのように地域を活性化させ、生活を改善させるか。自分たちの可能性を電気によって高めていくことなのです。
資金の調達、実際の操業の仕組みを教えてください。
ジョイントベンチャーという形で、出資はIBEKAが集めた資金と民間企業による投資、それぞれ50%ずつで行います。プロジェクトが始まった最初の10年、IBEKAはJICAなどの団体をとおして、日本政府からのサポートも受けていました。
また、どんなにいいプロジェクトでも、所有権と責任が手中にないと、正しい方向には進んでいきません。そのため、所有権は地域と民間企業の間で50%ずつのシェアとしました。
操業は国が持つ大規模の送電網と、いい関係で結ばれているので、地域の必要に応じて送電ができるシステムになっています。

これだけの仕組みをつくり、複数の地域で成果をあげられるようになるまでには、かなりの労力と長い時間が必要だったように思います。振り返ったときに、解決すべき最も大きな課題はどのようなものがありましたか?
いちばん大きな問題は地方政府でした。発電所が収益をあげると分かると、彼らはこう言ってくるのです。「あなたは、彼らに発電所が運営できる能力があると本当に信じているのですか? 有効に使うのであれば、その機械を行政に預けたほうがいいんじゃないですか?」と。私はあきれはてました。だって、彼らに教育の機会と能力を与えるのは、リーダーであるべき地方政府の仕事です。リーダーというのはそのためにいるはずです。そのとき、私は初めて認識したのです。意識変革は地域の住民だけでなく、地方政府の役人たちの頭のなかでも行われないといけないのだと。もちろん、一日で物ごとは変わりません。私は、毎日のように彼らと闘いました。同意するまで、何回も話し合いを重ねました。
辛抱強いそうした取り組みの先にある社会は、どのような姿に変わっていくのが望ましいのでしょう。また、社会を変えるチェンジメーカーとしてアショカ・フェローに選出された2006年以降、実現できたことを教えてください。
現在、人の生活規範は、「社会的ビジネス」と「商業的なビジネス」に分けられます。前者は人間の生活がベースですが、後者は経済の成長がベースだから、たくさんの労働力を必要としています。そのため、ウォールストリートや銀座で働く人の数が多くなり、膨大なエネルギーも必要とするモデルだといえます。
私たち、アショカ・フェローが望んでいるのは、もちろん前者。道徳心のある人たちを増やし、社会を変えていくということ。今の世の中は、お金を使いたくないのに、使わないといけないと思わされている。でも人々は、本当は賢くありたいと思っているし、大切な自然や環境のことを気にかけています。
アショカは携帯電話のような存在です。世界の人々を繋げていきます。私がフェローになったことで、地域開発型の小規模水力発電プロジェクトは世界へと広がり、現在、フィリピンとルワンダで行われています。
日本でも2011年にアショカ・ジャパンが設立されました。日本のチェンジメーカーに期待されることは?
日本はエネルギー消費大国です。エネルギーは限りがあるものなので、私たちの世代のみならず、次世代へとしっかり残していくことを考えないといけません。チェンジメーカーは、地球規模で大きな影響力を与えます。粘り強くやり抜くことが、夢を叶えてくれる道なのです。







![2013年6月号号 [特集]野菜をつくって未来を変える](/u/magazine/201306_side.jpg)


