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山で育つ牛の“おいしい”牛乳。 山地(やまち)酪農家 中洞 正 なかほら・ただし 1リットルパックが200円前後という物価の優等生・牛乳。「水」と変わらない値段の牛乳を搾られる乳牛の大半は、一生を牛舎の中で管理されて過ごし、大量の牛乳を出す“ミルクマシン”と化している。そんな機械化された酪農の対極にあるのが、山地酪農研究所の所長でもある中洞正さんが実践する「山地酪農」。自然の摂理に沿った、牛と人と自然との共生を実現する酪農手法だ。 photos : Masaya Tanaka text : Reiko Hisashima 牧場の写真はすべて山地酪農研究所提供

そこは『ハイジ』の世界。

岩手県・岩泉町。北上山系にある中洞正さんの牧場には牛舎がない。牛たちの居場所は、放牧地とその背後にある山林だ。餌は、その場所に自生している“草”。なんとも自然な営みだ。しかし、観光牧場以外で、放牧、とくに乳牛で放牧を行っているところは、日本では数えるほどしかないという。日本では主流でない山間地での酪農―― 山地やまち酪農は、牛と人と自然の持続可能な未来を示している。
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上/春先の中洞牧場。子牛も母牛と一緒にのんびりと過ごす。この青々とした草が牛たちにとっては一番のごちそう。下/冬の中洞牧場は、一面白銀の世界。こんな環境でも牛たちは外で健康に過ごすことができる(牧場の写真はすべて山地酪農研究所提供)。

山地酪農という言葉、あまり耳にしませんが、どのような酪農の方法なのですか?

国土の7割弱にも及ぶ山間地で行う酪農のことです。多くの人は、日本のような急峻な山で牛を飼うことは無理だと思っていますが、スイス・アルプスを見てください。放牧のために、山の麓から牛や羊を連れて登っていきます。『アルプスの少女ハイジ』の世界ですよ。それが日本でも可能なのです。子牛の頃から山で放牧すれば、牛は急な山も登り、食べられる草、食べられない草を自然に見分け、判断して草をみ、それを体内で処理して“牛乳”という恵みを生み出してくれます。面積比で適正な数の牛を飼えば(目安としては、1ヘクタールに1~2頭)、糞尿も自然に分解されて肥料になり、いい土、いい芝を育ててくれます。交配も、分娩も、子育ても、みんな自然のリズムで行われる。私たち人間は、その余剰分を少しいただくだけ。それが山地酪農の考え方なのです。

実際に中洞牧場では、どのようにして酪農が行われているのですか?

岩泉町にある牧場は、およそ50ヘクタール。そこで80頭あまりの乳牛を飼っています。入植した1984年には、昼は放牧しながらも夜は牛舎を使っていましたが、89年に一年365日の昼夜放牧に移行しました。牛たちを牛舎に入れることなく、ずっと外で飼うんです。初めは、冬、雪の中で凍えていないか、台風が来ればいったいどうしているのかと、不安ばかりでしたが、牛たちは集まって寒さを凌いだり、木や岩の陰で風雨を避けたり、ちゃんと身を守る術を知っているんですね。今は、朝晩、搾乳の時間になると牛たちは自発的に山から下りてくるので、そこで乳を搾ります。餌は、山に生えている野シバや草(クマザサなど多様な種類の野草)、木の葉を食べるので、私たちが牛に与えるのは、搾乳のごほうびとしてあげるおやつ(ビートパルプや圧片大豆など)と、冬場、草が少なくなったときの乾草(国産または自家採取)くらい。自然にまかせているので、牛舎で飼うよりも手間はかかりません。

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上空から撮影した中洞牧場。山の自然の中で牛たち(中央付近)が暮らしていることがよくわかる。

山地酪農というのは、中洞さんが考えた酪農のやり方なのでしょうか?

いえいえ。山地酪農に私が出合ったのは、大学2年生のときですね。小さい頃から牛と共に暮らすなかで、将来は酪農家になりたいと思っていました。しかし、大学(東京農業大学)では自分のやりたい酪農の姿がなかなか見えなかった。
そんなときに四国の岡崎正英まさふささんの酪農を記録したドキュメンタリー『山地酪農に挑む』を観て、衝撃を受けました。日本なのにアルプスのような放牧風景が広がっていた。「これだ!」と思いました。その後、山地酪農の提唱者である猶原恭爾さんの教えを受けることができ、これこそが自分の酪農の目指す方向だし、これからはこの素晴らしい酪農が全国に広がるはずだと信じてはじめました。

山に牛を放ち、山を再生する。

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山で飼っていると、牛は自発的に森の中に入っていって、クマザサなどの下草を食べる。間伐した樹木の葉も、牛にとってはおいしいごちそう。山の手入れを、人に変わって牛がしてくれる。

山地酪農は牛にやさしいだけでなく、放置された山林の再生にも有効な方法だと中洞さんはおっしゃっています。

初めは放牧地を造ってその中だけで放していたのですが、山との境の柵をなくしてみたら自然に牛が山に入っていって、鬱蒼としていたササやクズをモリモリ食べる。林業の中でも人手がかかる下草刈りを牛がやってくれるんです。間伐した木の葉も食べてくれました。そうすると数年のうちに、牛たちが好む野シバなどの野草が生え、きれいになっていきます。牛を山に放てば、乳は出してくれるし、山はきれいになるし、美しい景観もつくられる。いいことばかりですよ。しかもこれはけっして新しい考え方ではないんです。歌川広重の浮世絵にも放牧地が描かれているように、日本にはもともと山間の草地で牛や馬を飼う伝統があった。今ではかろうじて下北半島や宮崎県に残っているくらいですが、何千年という歴史があるし、それだけ持続できる仕事だということです。林業も100年先の大径木を育てる仕事ですが、酪農も山と共に生きるという意味では、1000年続くものを目指さなければと思います。

山は、人の手が入ることで私たちにさまざまな恵みをもたらしてくれます。中洞さんのお話を伺っていると、そこに牛という要素を加えるだけで、山仕事のイメージががらりと変わる気がします。

牧場をはじめた頃、山にカラマツを植林し、牛を放しました。今年は初めて間伐できるまでになりましたが、下草刈りの手間はかかっていません。山口県では、荒れた山林に牛を放って獣害対策にしているところもあるようです。また山だけでなく、減反政策によって耕作放棄地になったところで牛を飼えば、里山全体の保全にもつながると思います。

山地酪農の可能性を感じさせるお話ですが、残念ながら、全国でも取り組んでいる人は少ないと聞きます。多くの人が賛同する考え方で、持続可能な酪農だと思うのですが、なぜ広がらないのでしょうか?

どうしてでしょうね(笑)。やろうと思えば簡単にできるんですけど。ただ、ずっと牛舎で飼われていた牛をいきなり山に放してもだめです。まず、斜面を登れません。でも、子牛のときから山で育てていれば、自然に適応した牛 になります。また、いい草地になるのにも数年はかかる。初めはたしかに時間がかかりますが、それを乗り越えれば、土と太陽と水が健康な牛を育ててくれます。その牛が出す乳は、誰もが安心して飲める健康な乳ですし、人の手間が格段に減ります。「酪農」が「楽農」になるんです。

本当の牛乳の味を知ってほしい。

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中洞牧場では、IT企業のリンクとの協業で、研修宿泊施設なども整備する。牛だけでなく、エネルギーも、薪・炭・太陽光発電と自然系で、将来的には完全自給を目指す。炭も販売するという。

今、中洞牧場にはたくさんの若者が訪れているそうですね。

酪農をやりたくて大学に入った学生たちは、そこで今の酪農が「工場」になってしまっている現実に気づくんですね。“まきば”のイメージに憧れていたのに。かわいいはずの牛が、かわいくない、と。そんな若い人が、ここに来ますよ。この牧場なら山地酪農を実践するために必要なこと、その仕組みを一から教えられます。彼らが全国に散って、山地酪農を広げていってほしいですね。今、ここで山地酪農を学びたいという人のための研修棟を建てています。若い人だけではなく、リタイアした人がここで学んで、酪農を第二の人生に選ぶ、そんな選択肢があってもいいと思います。

牛乳の流通はどんなふうに考えているのですか?

日本の牛乳の流通・販売の仕組みのもと、私たちのような小さな牧場が自社ブランドの牛乳を製造・販売するためには、自前の牛乳プラント(工場)と営業力・販売チャネルを持たなければならず、金銭的にも、経営的にもリスクが高いです。私も一度、トライしました。今、その経験を生かし、「リンク」というIT企業との協業によって新しい工場を運営しています。順調にいけば、秋には牛乳をお届けできます。

どんな味なのか楽しみです。

63~65度・30分のノンホモ低温殺菌なので、本来の牛乳の味を味わっていただけます。普通、牛乳に含まれる乳脂肪分は3.0~3.5%くらいで、季節や餌によっても変わってくるものです。今、“濃い”牛乳がおいしいと思われていますが、本当の牛乳の味は、もっとあっさりとしたものなんです。

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冬、牧場の気温は零下15度にもなる。それでも牛は外で過ごすことができるのだ。「零下30度を下回るモンゴルでもそうやって飼っているんだよ」と中洞さん。寒いときは、牛たちも固まって暖をとっているという。

どのような形で販売されるのですか?

基本はネット通販ですが、東京・六本木に牧場のアンテナショップを出して、そこで牛乳やアイスクリームなどを買っていただけるようにしようと、今がんばっています。無農薬・無施肥で作った野菜と炭、蜂蜜も売ります。

小学校の頃になろうと思った“牛飼い”。ずっと、牛と共に歩んできましたね。

牛は、生まれたときから一緒にいて、家畜であると同時にペットでもありました。小学生の子どもでも言うことをきかせられますから、かわいい。牛の世話を手伝えば親にもほめられましたしね(笑)。その牛を自然な環境で飼うことが、牛にも人にも、そして山にもいい。山地酪農を営む人が、各都道府県に1か所ずつでも増えていって、日本の酪農も「ちょっと変わった」、と言えるようになればいいと本当に思います。

中洞 正 なかほら・ただし

中洞 正 なかほら・ただし
1952年岩手県生まれ。東京農業大学農学部卒業。山地酪農家、山地酪農研究所所長。2006年から東京農業大学客員教授。山地で放牧を行うことで、健康な牛を育成する山地酪農を実践している。山林・林野を活用した通年昼夜放牧を提唱し、酪農家の啓蒙に努めている。著書に『幸せな牛からおいしい牛乳』(コモンズ刊)、『黒い牛乳』(幻冬舎刊)など。

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