
建築家・隈研吾さんとお会いしたり、東大・建築学科の院生が主宰するセミナーに参加したりと、このところアーキテクト方面に接点がある。わたしは生命科学を研究している者だから、もちろん建築学のことは何もわかっていない。ただ建築家には昔からあこがれがあるし、面白い建物を見ると不思議な吸引力を感じる。
たとえば隈研吾さんが設計した新しい根津美術館。あのあたりは南青山から西麻布に向けての傾斜地で豊かな緑がある。美術館の大きな屋根はその傾斜に寄り添うように広がっている。その相補関係がすばらしいと思う。
そういえば「相補性」というのは、生物学のキーワードのひとつである。生命現象に関わる要素はすべて相補的な関係にあって、互いに他を支えつつ、互いに他を律している。この関係性が、生命の恒常性を生み出し、動的平衡状態を維持する。
生物学と建築学にはひょっとすると共通性があるのかもしれない。構造計算や土木はもとより工学そのものであり、工学的な思考、機械論的な発想は、生物学とはある意味で相容れない。
しかし建築家の発想、着想のきっかけ、あるいはデザインのよりどころのようなものは、生物学者が細胞を観察するときの感覚に似ているかもしれない。
そのひとつはトポロジー感覚である。トポロジーとは難しく訳すと位相幾何学となるけれど、簡単にいえば空間的にものごとを捉えること。私たち生物学者は、いつも細胞のトポロジーを考えながら、細胞を観察している。ひとつの丸い細胞には本来、上下左右は存在しない。しかし、もしある細胞が別の細胞と一点で接すると、そこに初めて上下のトポロジーが生まれる。接した一点を北極とすると反対側の極が南極となる。極と極を結ぶ線として軸が生まれる。軸に対して右回り、左回りが生まれる。
ここで重要なのは、細胞は単独では自分のトポロジーを決定できないが、複数の細胞が接すると、つまり多細胞化すると初めてトポロジーが生まれるということだ。相補的な関係性である。
別のキーワードのひとつはコンパートメント。原始的な細胞は一枚の薄い細胞膜に取り囲まれた風船のようなものとしてあった。しかし複雑な反応を同時進行するためには、内部に部屋が一つしかないことは何かと不都合を生じる。たとえば酸化と還元という逆方向の反応を一度に行うことは難しい。そこで区画(コンパートメント)が生まれた。しかし細胞膜は自由自在に空間を仕切ることはできない。必ず一枚の閉じた袋としてしか存在できない。ただし形は柔軟で、場合によってはすばやく裂けたり、溶けあったりもできる。
そこで細胞はその膜を内部に陥入させることによって、そしてその入口を閉じて、内部に新しい内部をつくった。地形でいえば、ちょうど入り江の湾の開口部が閉じられ、外海とは隔てられた内湖ができるように。そして内部の内部に新たな反応系をおいて、本来の内部とは別の空間をつくった。つまりコンパートメントが増えることは、それだけ秩序が高まる、ということである。
東大のセミナーでご一緒した建築家・伊東豊雄さんの作品には随所に、そのような生物学的な感性をみることができる。彼が台湾に造りつつある公共のホールは、曲面が入れ子構造をとっている。たどっていくとどこが表でどこが裏かわからなくなる。その曲面としての膜によって、ホールは内部にコンパートメントを抱きつつ、細い通路を介して外界にも開かれている。内部の内部は外部。それはまるでコンパートメントをつくりつつある動的な細胞の姿そのものだ。
あるいは同じく伊東さんの作品である表参道の白いTOD'S表参道ビル。街路のケヤキを模して……いや、ほんとうのケヤキ以上に、いさぎよく、力強く、高さを増すごとに細い枝が分かれ、広がる。実にかっこいい。
銀座のMIKIMOTO Ginza 2。貝殻をちりばめたようだ。小さなものから大きなものまで。しかし、ちりばめたとはいいながら、それぞれの貝殻の配置はランダムではない。互いにしっくりと隙間なく組み合わさって美しい秩序をなしている。
ここに実現されているのはとりもなおさず生物学的な美しさだ。自己複製の仕組みを持ちながら、複製されるパターンはすこしずつ揺らぎ、わずかながら異なる。それでいて互いに相補的な関係を保って、一定の秩序を成している。そこに現れる美しさだ。まさに動的平衡である。
人工物としての建物。その建物と環境とのあいだの界面をできるだけ溶かし、分断線を廃し、むしろ互いに寄り添うようなあり方を求める。あるいはそこに動的な均衡を探す。隈研吾さんの作品と伊東豊雄さんの作品はそれぞれその表現の形は異なるけれど、生物学者の私にとってはいずれもさわやかな共感と楽しい驚きを感じる。環境と共生の時代。言葉ではなく、その希求を具体的な形にすることができる建築家の営みを心からうらやましいと思う。



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