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福岡伸一の生命浮遊

近年、DNA解析の方法が進んで、一度に多数のゲノムを高速に解析できるようになった。そしてDNA情報のデータベースも格段に充実してきた。

人間の消化管の内容物を採取してそのDNAを解析すると、そこにはヒトの消化管上皮細胞のDNAはもちろん、食べた食物に含まれていた細胞のDNAがまじりあって存在することになる。そして多種多様な腸内細菌のDNAも混在している。これまで、腸内細菌の多くは嫌気性、つまり外界に取り出して酸素にさらされると死滅してしまうので、純粋に培養することができなかった。それゆえ腸内細菌の種類や生育の様子などを直接知ることはなかなか難しかった。

DNAの高速解析を行うと、消化管内から採取した雑多なDNA情報を選別し、そこからヒトのDNA、食品のDNAを差し引いたのち、腸内細菌のDNA情報を仕分けしたり、つなげたりして、どのような腸内細菌が存在しているのかがわかるようになってきたのである。

酸素に触れると死んでしまう嫌気性腸内細菌でも、その死骸から特徴や種類を分析できるようになってきたのだ。すると意外なことが判明しはじめた。腸内細菌の種類は、ヒトが住んでいる地域ごとに違っているのだ。

これは先ごろ、『Science』という科学専門誌に掲載された論文の結果。日本人の消化管内には、海藻の成分を分解できる腸内細菌が存在するが、欧米人の腸内にそんな菌はいない。ちょっと考えてみればこれは当然のことである。腸内細菌はその風土の食とともに私たちの消化管に定着し、時間をかけて風土に応じた共生関係を形成する。海藻をおいしく食べる私たちが、海藻の成分を分解できる能力を有した腸内細菌とともに暮らしていてなんの不思議もない。ひょっとすると腸内細菌は個人個人でも異なるコロニーを有しているかもしれない。いやこれはおそらくかなり確実なことだろう。個人の食習慣が、腸内細菌との共生関係を個別に育んでいるのである。

よく海外旅行に出て、お腹の調子が変になるということがある。それは必ずしも現地の食べ物の衛生状態が悪いということではないだろう。むしろ、その場所の食材と私の腸内細菌との相性が悪いのだ。それが証拠に、少し長逗留すると徐々にお腹の調子は安定してくる。腸内細菌の動的平衡が適応したということである。

あるいは極端な例は、抗生物質を服用したときである。抗生物質は、私たちが感染してしまった細菌類を制圧するために開発された薬剤、つまり細菌にとっての毒である。これを飲むと何が起きるか。それは身体の最前線に位置する腸内細菌がまず第一に抗生物質によってやられてしまうということである。抗生物質の副作用として必ず記載されていることは、下痢もしくは便秘が起きる可能性があるということである。消化管環境の守護神である腸内細菌のコロニーが乱されると、とたんに整腸作用が変調し、消化管は両極端に振れてしまうのである。抗生物質の服用をやめると、腸内細菌コロニーはまもなく平衡を取り戻し、私たちのお腹の調子も戻ることになる。そのような視点に立つと、風土に合ったものを食べる、という当たり前の食の知恵には、生物学的にも合理性があるといえるのである。

腸内細菌がこのようにダイナミックに復活できるのは、その生命力が圧倒的に強いからである。

代表的な腸内細菌である大腸菌は、酸素があっても生存できるので実験室内で飼育することができる。温度、栄養、酸素の条件がそろっていれば大腸菌は約20分でひとつの細胞が分裂し、ふたつの細胞になる。つまり世代が交代し倍加する。シャーレの上に栄養を含んだ寒天を敷き、そこに薄く希釈した大腸菌の液を塗りつける。寒天の上で、大腸菌は一匹一匹、ばらまかれて孤立している。むろん肉眼では見えない。大腸菌はすぐに増殖を開始する。2、4、8、16倍……どんどん増える。寒天のような固体培地の上では大腸菌自身は自ら動けないので、半日もすればそこには大腸菌の山ができる。それは肉眼では白く光ったきれいな粒に見える。

抗生物質で叩かれても、1匹でも生存していれば、あっという間に億や兆に増殖することができる。このスピードが大腸菌の生命力のすべてである。人間が次の世代を生み出すためには、少なくとも20年、最近では40年近くも? かかるのとえらい違いである。人間が大腸菌のこの生命力をなんとか利用できないかと考えたのも当然のことだった。

(つづく)


福岡 伸一 ふくおか・しんいち
生物学者。1959年東京生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て、青山学院大学教授。2013年4月よりロックフェラー大学客員教授としてNYに赴任。サントリー学芸賞を受賞し、ベストセラーとなった『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)、『動的平衡』(木楽舎)ほか、「生命とは何か」をわかりやすく解説した著書多数。ほかに『できそこないの男たち』(光文社新書)、『生命と食』(岩波ブックレット)、『フェルメール 光の王国』(木楽舎)、『せいめいのはなし』(新潮社)、『ルリボシカミキリの青 福岡ハカセができるまで』(文藝春秋)、『福岡ハカセの本棚』(メディアファクトリー)、『生命の逆襲』(朝日新聞出版)など。

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