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福岡伸一の生命浮遊

前回は、釣り針(タンパク質のアミノ酸配列情報から得た遺伝子暗号候補)を使って、それと相補的な配列を有する遺伝子本体を釣り上げる技術の原理を話した。その際、省略したことについて今日は述べておこう。

細胞の中、細胞核の内部に折りたたまれて鎮座しているDNA(その総体をゲノムと呼ぶ)は、情報を安定的、かつコンパクトに保持するため、二重らせん構造をしている。「二重」というのは、これまで説明してきたとおり、互いに相補的な情報があわせ鏡のように対合している、ということ。ポジフィルムとネガフィルムが重ね合わされていると例えてもよい。こうしておくと一方の鎖に切断や欠損ができても、他方の鎖の情報から元の情報を再現できる。それともうひとつ、二重になっていることの重要な意味は、情報の複製が容易に可能である、ということ。ポジとネガにあたる2本の鎖をほどいてそれぞれ1本鎖にする。そのあと、相補性の法則に基づいてポジからネガを、ネガからポジを合成すれば、それぞれ2本の鎖のDNAが出来上がる。つまりワン・ペアからツー・ペアの情報が複製されたことになる。実際、DNAはこのように情報を倍加して、それをそれぞれ、細胞分裂してできた“娘細胞”(1個の細胞が半分に分かれてできた2つの新細胞)に分配する。これが遺伝情報伝達の基本形である。

DNAの相補性を利用して、ある部分的な固有配列(釣り針=これをポジとしよう)からその配列に合致する本体の配列(これがネガ)の場所を探り当てようというのが私たちの作戦だった。

上に書いた「省略したこと」とは、DNAとメッセンジャーRNA(略してmRNA)、およびタンパク質の関係である。DNAにはタンパク質のアミノ酸配列情報が遺伝暗号化されて保持されているのだが、それをタンパク質合成に仲介するため、情報の運び役として、細胞内にはmRNAというものがあるという点。mRNAはDNAの二重らせん情報からタンパク質ごとに情報を写しとって(ここでも相補性の原理が使われる)、それを細胞核の外のタンパク質合成工場に運ぶ。私たち生物学徒がこの話を習い始めた時、教師は、DNAとRNAの関係を、戸籍謄本と戸籍抄本のようなもの、と説明した。謄本はすべてが書かれた全体情報で、抄本はそのうち必要な部分だけを抜き書きしたコピー。まあ、当たらずといえども遠からずという例えではあるが、戸籍システムがない外国ではまったく通用しない話である。

驚くべきことは、DNAが担っている情報のうち、mRNAに写し取られてタンパク質合成工場に運ばれる情報は、全DNAのうちほんの数パーセントでしかない、という事実である。つまり全DNAのうち、実際にタンパク質アミノ酸配列情報が書き込まれているのはほんのわずかな部分でしかなく、大半は意味のない情報が書かれていることになる。

これまた変な例えになるが、楽曲と楽曲の無音部分が極端に長い音楽の記録媒体(例えばCD)を思い浮かべていただきたい。楽曲がタンパク質情報であり、そのあいだの無音部分が、DNAのつなぎ配列部である。DNAがなぜこんなに膨大な無意味情報を保持しているかはいまだに謎である。実は必ずしも無意味ではない、という考え方もあるが、では、タンパク質情報としては用をなさない膨大な塩基配列に何の意味があるのかはわかっていない。

さて、技術的な観点からこの状況を見ると、ひとつの論理的帰結が見いだせる。釣り針を使って、遺伝子の本体を釣り上げようとする場合、DNAそのものではなく、その中でタンパク質の情報を担っているmRNAにターゲットを絞れば、探す範囲がぐっと狭まる、ということである。DNA自体には無意味な配列があまりにも多いので、それ全体を相手にすると探す範囲が広すぎてしまう。

ただし、ここで新たな問題点が浮上してくる。DNAは二重らせんをした安定的な構造をしている。上記のとおり、情報の複製にも適している。しかしmRNAは、DNA情報を部分的に写しとった1本鎖の構造をしており、しかもDNAとRNAを化学物質として比べると、RNAのほうが極端に壊れやすいという問題である。


福岡 伸一 ふくおか・しんいち
生物学者。1959年東京生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て、青山学院大学教授。2013年4月よりロックフェラー大学客員教授としてNYに赴任。サントリー学芸賞を受賞し、ベストセラーとなった『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)、『動的平衡』(木楽舎)ほか、「生命とは何か」をわかりやすく解説した著書多数。ほかに『できそこないの男たち』(光文社新書)、『生命と食』(岩波ブックレット)、『フェルメール 光の王国』(木楽舎)、『せいめいのはなし』(新潮社)、『ルリボシカミキリの青 福岡ハカセができるまで』(文藝春秋)、『福岡ハカセの本棚』(メディアファクトリー)、『生命の逆襲』(朝日新聞出版)など。

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